興聖寺は朽木岩瀬にある曹洞宗寺院。
曹洞宗開祖道元が越前に下向した際、
立ち寄った朽木の地形が、
宇治の興聖寺に似ていた事に驚き、
寺を建立して興聖寺と名付けたという。
「本堂」。
建立時期は不明ですが古くはないようです。
本尊の釈迦如来像坐像は… 続きを読む
滋賀県高島市 興聖寺/朽木家墓所
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興聖寺は朽木岩瀬にある曹洞宗寺院。
曹洞宗開祖道元が越前に下向した際、
立ち寄った朽木の地形が、
宇治の興聖寺に似ていた事に驚き、
寺を建立して興聖寺と名付けたという。
「本堂」。
建立時期は不明ですが古くはないようです。
本尊の釈迦如来像坐像は… 続きを読む
朽木家は鎌倉時代より朽木庄を治め、
戦国時代の当主朽木元綱は、
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に従い、
その所領を守り続けました。
江戸時代初期の所領は9590石で、
僅かに1万石には達していませんが、… 続きを読む
知積院は真言宗智山派の総本山。
元々は紀伊国にある根来寺の塔頭で、
真憲坊長盛が南北朝時代に創建。
山内の学問所となっていましたが、
やがて根来寺は豊臣秀吉と対立し、
根来攻めの末に全山が焼失しています。
当時の住職玄宥は難を逃れており、… 続きを読む
法住寺は三十三間堂の東にある天台宗寺院。
平安中期に藤原為光によって創設され、
後に後白河法皇の御所[法住寺殿]が置かれて、
その院政の中心となっています。
法住寺殿は木曽義仲… 続きを読む
大仏南門(蓮華王院南大門)の東側に、
土佐浪士らが同居した場所がありました。
「土佐志士寓居跡」。
現在の法住寺駐車場にあたる場所に、
河原屋五兵衛の隠居所があったようで、
これを借りて坂本龍馬、中岡慎太郎、
北添佶摩、望月亀弥太… 続きを読む
東山本町3丁目の伏見街道沿いに、
東山本町陵墓参考地があります。
「東山本町陵墓参考地」。
85代仲恭天皇の陵墓参考地。
仲恭天皇陵は九条陵に治定されていますが、
参考地として宮内庁が管理しています。
元々この場所には塚本社が鎮座しており、… 続きを読む
85代仲恭天皇の九条陵の手前に、
長州藩将兵の墓所があります。
「鳥羽伏見防長殉難士墓所」。
この場所を墓地としたのは、
長州藩が本陣とした東福寺に近い為。
現在の墓碑が建立されたのは、
明治33年の33回忌だったとのこと。
被葬者は以下48名ですが、
鳥羽伏見の戦い以外の死者も含まれます。
藤村英次郎… 続きを読む