洞雲寺は廿日市市にある曹洞宗寺院。
厳島神社神主藤原教親の開基で、
長享元年(1487)に金岡用兼禅師が創建し、
その師為宗仲心禅師を開山としています。
「洞雲寺」。
本尊は… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
広島県広島市 浅野家新庄山墓地
浅野家歴代墓所であった菩提寺の国泰寺は、
原爆の爆心地から約500mの位置にあった為、
全ての伽羅が全壊全焼しました。
この為に浅野家墓所は移転する事となり、
初、2~4、6、8~11代藩主が、
牛田町浅野山(神田山)に改葬され、
5、7、12代藩主が、
山手町新庄山に改葬されています。
今回はそのひとつ[新庄山墓地]を訪問。… 続きを読む
広島県広島市 浅野家浅野山墓地
広島藩浅野家の藩祖は浅野長政。
※浅野家としては14代。
長政は豊臣政権の五奉行に抜擢され、
豊臣秀吉に絶大な信頼を得ていますが、
徳川家康とも非常に親しい間柄で、
度々囲碁をする仲であったとされます。
更に石田三成とは不仲だったようで、… 続きを読む
広島県広島市 太田川中流域
太田川は西中国山地の冠山を水源とし、
広島市街を流れ瀬戸内海に注ぎます。
現在の広島平野を形成したのは、
太田川が氾濫を繰り返した結果とされ、
古来より畏怖の対象であると共に、
人々に恵みを与えていました。
「太田川(中流域)」。
訪問時は休日であった為か、
川遊び… 続きを読む
広島県安芸高田市 志道家墓所
志道家は毛利家庶流坂氏の一門で、
坂広秋の四男志道元良を祖とする家。
2代志道広良は毛利元就の器量を見抜き、
早くから元就と親交を結び、
元就の軍師的な役割を担いました。
その後も代々毛利家に仕えており、
防長移封後は於福3000石を与えらえ、… 続きを読む
広島県安芸高田市 福原家墓所
長州藩の準一門家である福原家は、
安芸毛利家4代毛利元春の五男が、
縁戚である備後長井家の養子となり、
後に内部荘福原村を領して福原姓に改め、
福原元世と名乗った事に始まります。
毛利家に終始協力しており、
更に8代福原広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ、… 続きを読む
広島県安芸高田市 国司家墓所
長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元… 続きを読む