倉敷代官所は天領(幕府領)倉敷村に置かれ、
代官が派遣され周辺直轄領を統治しました。
江戸時代初期に備中松山に代官所が置かれ、
倉敷村は天領の物資集積地となり、
水運で栄えていた場所でしたが、
松山の代官所が廃止されてからは、
倉敷は松山と共に備中松山藩領となります。… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
岡山県倉敷市 倉敷美観地区
倉敷美観地区は天領の町並みが残された地区。
倉敷川畔に町屋や蔵が軒を連ね、
往時の雰囲気を感じさせてくれます。
6年程前に仕事で近くに来た際に、
一人で立ち寄ってはいますが、
今回家族旅行で再び訪問しました。
白壁通りと呼ばれる県道22号線より北側。
家族が「わぁ!」と声をあげる程の景色。
かつて運河として利用された倉敷川に、
柳並木と江戸期の家屋が並ぶ風景は、… 続きを読む
岡山県倉敷市 天城池田家墓所
天城池田家初代当主池田由之は、
池田恒興の嫡男池田元助の嫡男であり、
本来は池田宗家の嫡流に当たります。
しかし恒興及び元助が討死した事により、
幼少の為に家督を相続する事が出来ず、
恒興の次男池田輝政が家督を相続。
この為に由之は輝政に仕える事となり、
鳥取藩への入封の際に米子城… 続きを読む
岡山県倉敷市 海禅寺/天城池田家墓所
海禅寺は倉敷市藤戸町天城にある臨済宗寺院。
天城池田家2代池田由成が菩提寺として創建し、
父池田由之の菩提を弔いました。
織田家の重臣であった池田恒興は、
小牧長久手の戦いで羽柴秀吉に味方しますが、
嫡男… 続きを読む
岡山県岡山市 備中高松城跡/清水宗治首塚
織田信長は羽柴秀吉に中国攻めを命じ、
これに応じて秀吉は中国地方に侵攻を開始。
秀吉は播磨、但馬、因幡を平定し、
毛利家の勢力圏内に迫りますが、
毛利家は境目七城を防衛ラインとし、
織田勢との戦いに備えます。… 続きを読む
広島県廿日市市 上田家串山墓所
広島藩家老上田家の初代上田重安は、
茶道に優れ流派を創設する程の茶人。
また多くの戦に参加した歴戦の勇士で、
一番槍の武功を何度も得た強者でした。
その没後は遺言により遺骨が海に流され、
遺髪のみが塚に埋葬されました。
廿日市市沖塩屋にある墓所。
「上田家墓所」。
串山… 続きを読む
広島県廿日市市 廿日市宿跡
廿日市宿は西国街道の31番目の宿場町。
廿日市は古くは廿の浦と呼ばれ、
鎌倉時代に厳島神主藤原親実が移住して栄え、
毎月廿日に市が立つようになった為、
廿日市というようになったとのこと。
西国街道の宿場として馬15頭が置かれ、
旅館が建ち並んでいた他、… 続きを読む