廬山寺は天台圓淨宗の本山寺院。
正式な寺号は廬山天台講寺と称し、
天慶元年(938)に創建された與願金剛院と、
寛元3年(1245)に貢献された廬山寺が、
両寺の住持を兼務した明導照源により、
応安元年(1368)に合併されて、
新たに廬山天台講寺となります。
円密浄戒の… 続きを読む
京都府京都市 廬山寺
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廬山寺は天台圓淨宗の本山寺院。
正式な寺号は廬山天台講寺と称し、
天慶元年(938)に創建された與願金剛院と、
寛元3年(1245)に貢献された廬山寺が、
両寺の住持を兼務した明導照源により、
応安元年(1368)に合併されて、
新たに廬山天台講寺となります。
円密浄戒の… 続きを読む
清浄華院にある玉松操の墓所。
玉松は王政復古の詔勅を起草し、
錦旗の意匠を考案した事で知られます。
「贈従三位藤原朝臣真弘卿之墓」。
国学者玉松操の墓。
玉松は公卿山本公弘の二男として生まれ、
醍醐寺無量寿院で出家。
猶海を名乗り… 続きを読む
清浄華院墓地にある姉小路公知の墓所。
姉小路家は平安時代末期、
左大臣三条実房の次男姉小路公宣が、
姉小路家を称したのに始まり、
6代後の室町時代初期に断絶しています。
その後200年以上の時を経て、
慶長18年(1613)に姉小路公景が再興。… 続きを読む
清浄華院は浄土宗の大本山寺院。
貞観2年(860)に慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願で宮中に建立したとされ、
当初は円密浄戒の四宗兼学だったという。
後に浄土宗の開祖法然上人… 続きを読む
和宮親子内親王は仁孝天皇の第8皇女で、
母は羽林家橋本家当主橋本実久の娘経子。
経子は仁孝天皇の寵愛を受け、
皇子胤宮を出産しますが夭折し、
和宮の出産は仁孝天皇の崩御後でした。
橋本家は清華家西園寺家… 続きを読む
中山家は羽林家の家格を持つ公卿家。
平安末期の内大臣中山忠親を祖とし、
晩年に忠親が洛東中山に居住した為、
中山家を称すようになったとされます。
初代こそ内大臣まで昇進していますが、
以後の子孫は権大納言止まりとなり、
家格としては羽林家に列しました。
13代… 続きを読む
二条家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条家の庶流にあたる公家で、
九条道家の次男二条良実を祖とします。
良実が東二条院に居住した事から、
二条を称したとされており、
仁治3年(1242)に良実が関白となって以降、
五摂家のひとつとして続きました。
戦国時代の当主13代… 続きを読む