中国地方の雄である毛利元就に仕え、
その覇道に貢献した家臣達の子孫は、
江戸期、そして幕末はどうだったのかと、
簡単ながらまとめてみました。
[毛利元就御座備図]を元に、
一人ひとり見てみましょう。
①毛利元就(→長州藩主)
主君の元就の系譜は勿論長州藩主です。
広島県安芸高田市 毛利元就墓所
山口県萩市 大照院/長州藩毛利家墓所
山口県萩市 東光寺/長州藩毛利家墓所… 続きを読む
中国地方の雄である毛利元就に仕え、
その覇道に貢献した家臣達の子孫は、
江戸期、そして幕末はどうだったのかと、
簡単ながらまとめてみました。
[毛利元就御座備図]を元に、
一人ひとり見てみましょう。
①毛利元就(→長州藩主)
主君の元就の系譜は勿論長州藩主です。
広島県安芸高田市 毛利元就墓所
山口県萩市 大照院/長州藩毛利家墓所
山口県萩市 東光寺/長州藩毛利家墓所… 続きを読む
大寧寺は湯本温泉ある曹洞宗の寺院。
本山總持寺の直末寺として高い寺格を持ち、
守護大名大内家の菩提寺でありました。
戦国時代の当主である大内義隆は、
家臣の陶隆房が挙兵して謀反を起し、
この寺の本堂で自刃した事でも有名です。… 続きを読む
阿川毛利家は吉川元春次男毛利元氏の系譜。
長州藩一門家老第5席目の家格です。
阿川は長州藩の北西に位置する地で、
交通の便も良くはない辺境の地ですが、
その7000石程度の石高の割に、
家臣185人を抱える大所帯でした。
阿川毛利家は密貿易を行っていたともされ、
その為か海外情勢にも熟知していたという。… 続きを読む
益田家は長州藩の永代家老家で、
長州領北東端須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より、
現在の島根県益田市を本拠としていますが、
関ヶ原の戦いで主家が減封した為、
代々統治した所領を手放しています。
益田の隣須佐が所領とされたのは、
益田を取り戻すつもりだったのか?
それとも単なる偶然?… 続きを読む
厚狭毛利家は毛利元就の五男毛利元秋が、
厚狭周辺を与えられたのに始まります。
洞玄寺はその厚狭毛利家の菩提寺で、
本堂裏手には厚狭毛利家の墓所があります。
洞玄寺山門。
幕末期の洞玄寺住職実音和尚は、
奇兵隊反乱に加担した指導者の一人で、
反乱軍が鎮圧されると行方をくらました為、
洞玄寺は一時廃寺になりかけたという。
「… 続きを読む
須佐は長州藩永代家老益田家の所領。
益田家は現在の島根県益田市を所領とし、
代々統治していましたが、
関が原の戦いで毛利家が減封された際、
益田氏も須佐に転封となりました。
須佐の地名は文字通り、
スサノオノミコトと関係深いようですが、
神話の話なのでよくわかりませんが、
益田氏が治めるようになってからは、
北前船… 続きを読む