南洲墓地にある桐野利秋の墓。
「桐野俊秋墓」。
総司令兼四番大隊指揮長桐野利秋の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
幕末期は中村半次郎と称しており、
人斬り半次郎の渾名でも知られます。
※記録に残る人斬りは1件のみ。… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 南洲墓地/桐野利秋墓
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南洲墓地にある桐野利秋の墓。
「桐野俊秋墓」。
総司令兼四番大隊指揮長桐野利秋の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
幕末期は中村半次郎と称しており、
人斬り半次郎の渾名でも知られます。
※記録に残る人斬りは1件のみ。… 続きを読む
南洲墓地にある永山弥一郎の墓。
「永山盛弘墓」。
三番大隊指揮長永山弥一郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士永山休悦の長男に生まれ、
茶坊主として出仕した後、
若くして尊皇攘夷思想に惹かれ、… 続きを読む
南洲墓地にある村田新八の墓。
「村田新八墓」。
二番大隊指揮長村田新八の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士高橋八郎の三男として生まれ、
村田十蔵の婿養子となっています。
西郷隆盛に幼少期より兄事し、
西郷が国父… 続きを読む
南洲墓地にある篠原国幹の墓。
「篠原國幹墓」。
一番大隊指揮長篠原国幹の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士篠原善兵衛の長男に生まれ、
藩校造士館に和漢学… 続きを読む
明治10年に起こった西南戦争は、
西郷隆盛以下西郷軍の全滅で終結。
戦死した西郷軍将兵の遺体は、
鹿児島各地に仮埋葬されています。
その後の明治12年に有志らによって、
現在地に改葬。
後に九州各地で埋葬された遺骨も集められ、
これが南洲墓地となっています。
「南洲墓地」。
2023名… 続きを読む
奥平家は大組士101石の家柄で、
奥平謙輔は当主奥平清兵衛の五男でした。
「奥平家墓所」。
偶数代藩主墓所である大照院の一般墓地。
奥平家の墓所はその中心辺りにあります。
「弘毅齊源居正墓」。
奥平謙輔の墓。
藩校明倫館… 続きを読む
富永有隣はその晩年、
妹の嫁ぎ先宿井村の庄屋末岡家を頼り、
塾を開いて後進の指導に尽くしたという。
「富永有隣終焉之地(末岡邸跡)」。
庄屋末岡家の屋敷があった場所。
有隣の妹トミは末岡太兵衛の後妻となり、
これを頼って未岡家に世話になっています。
有隣はそこで私塾帰来塾を開き、
青年らを教えつつ晩年を過ごしました。… 続きを読む