士族反乱」タグアーカイブ

山口県熊毛郡 富永有隣墓所

富永有隣富永七郎右衛門の長男に生まれ、
幼少時に天然痘右目を失明したという。
藩校明倫館に学んた後に藩に出仕し、
小姓役から配膳役へと進みますが、
偏屈な性格が災いして見島へ配流。… 続きを読む

佐賀県佐賀市 来迎寺/島義勇墓所

島義勇佐賀七賢人のひとりで、
北海道開拓の父とも称される人物。
佐賀士族を見下す岩村高俊に激怒し、
江藤新平と共に佐賀の乱を起し、
これに敗れて処刑されています。


来迎寺」。
鎌倉幕府5代執権北条時頼続きを読む

熊本県水俣市 陳内官軍墓地

水俣城(陳内城)跡にある官軍墓地
西南戦争で戦死した官軍兵の墓で、
高隈山の戦いの戦死者が多いようです。
※明治10年6月18日の戦闘で、
 鹿児島県大口市高隈山をめぐる戦い。



陣内官軍墓地」。
陣内なのか陳内なのかはっきりせず、
現地の説明碑にも両方の表記があります。
勿論両方共[じんない続きを読む

熊本県球磨郡 新宮寺/神瀬鹿三墓所

新宮寺黄檗宗の日本最南端の寺院。
新宮寺六観音で知られるお寺で、
紅葉の名所でもあります。


本堂」。
訪問時は季節か良かったのか、
紅葉が色づいて綺麗でした。

境内の墓地を探しましたが、
神瀬鹿三の墓は見当たらず。
それもそのはず神瀬家の墓所は、
寺から離れた国道沿い。

神瀬鹿三之墓続きを読む

熊本県葦北郡 峰崎官軍墓地

峰崎官軍墓地は明治10年の西南戦争の際、
芦北町内で戦死した陸軍将兵の墓地。
周辺では佐敷大関山一帯が戦場となり、
それらで戦死した将兵が埋葬されました。
特に大関山を巡る戦闘での戦死者が多く、
60名も埋葬されているという。


峰崎官軍墓地」。
86名の将兵が眠る官軍墓地。
明治十年之役官軍戦死者墳墓地続きを読む

宮崎県日向市 細島官軍墓地

細島港南側の丘にある細島官軍墓地
西南戦争で戦死した官軍兵が、
ここに葬られました。


細島官軍墓地」。
官軍兵319名の墓碑が並ぶ墓地。
宮崎県各地で戦死及び戦病死した兵士らで、
関東中部東北出身の者も多く、
故郷より遠く離れた地で眠っています。


「… 続きを読む

島根県出雲市 前原一誠之碑

前原一誠神風連の乱に呼応し、
明治9年10月28日にで挙兵。
約200名で県庁襲撃を計画しますが、
この動きは事前に察知された為、
方針を転換して山陰道を東上します。
しかし虚報によって萩に戻り、
政府軍と萩で交戦しますが戦況は悪く、
状況を打開する為に幹部5名と共に離脱。
東京に出て天皇に直訴しようとしますが、… 続きを読む