八田山招魂場は大島宰判が創建した招魂場。
大島戦争の戦死者18名及び、
大島出身の北越戦争戦死者2名、
大島ゆかりの3名を墓碑が建っています。
その後、東久賀招魂社、八田山招魂社、
大島護国神社、久賀護国神社、
そして… 続きを読む
山口県周防大島町 大島神社
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八田山招魂場は大島宰判が創建した招魂場。
大島戦争の戦死者18名及び、
大島出身の北越戦争戦死者2名、
大島ゆかりの3名を墓碑が建っています。
その後、東久賀招魂社、八田山招魂社、
大島護国神社、久賀護国神社、
そして… 続きを読む
大洲鉄然は覚法寺住職大洲雪道の次男で、
右田の大田稲香、柳井の月性に学びました。
後に階位を得る為に西本願寺を訪ねますが、
手数料10両を求められた事に憤慨し、
出奔して堺で剣術道場を開きます。
どこで習得したかわかりませんが、
鉄然は剣、弓、やり、砲術にも長けており、… 続きを読む
久賀の海岸線沿いに維新百年記念公園があり、
維新関連の記念碑が集められています。
「維新百年公園」。
文字通り維新百年を記念して整備された公園。
久賀村は大島戦争の激戦地で、
幕府軍が上陸して占領、略奪、放火し、
艦砲攻撃によって壊滅的な被害を受けました。… 続きを読む
世良修蔵は東北諸藩に不遜な態度を取り、
「奥州皆敵」と記された密書を書いた為、
これに激怒した仙台藩士らに殺害されました。
この事が奥羽越列藩同盟成立に繋がり、
戊辰戦争への引き金となった訳で、
世良は後世で鬼畜のような扱いを受けています。… 続きを読む
山口県南東部に位置する周防大島は、
瀬戸内海に浮かぶ島の中で3番目に大きく、
※1番は淡路島、2番は小豆島。
島内には約1万7千人が暮らしています。
正式名は屋代島というようですが、
そう呼ぶ人は地元には殆どおらず、
「大島」又は「周防大島」と呼ばれ、
自治体名も周防大島町となっています。
「周防大島(屋代島)」。… 続きを読む