開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
福岡県北九州市 開善寺/小笠原内匠祖之墓
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開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
天仲寺は天仲寺山にあった禅寺で、
現在は廃寺となって建物は解体され、
跡地は天仲寺山公園となっています。
「天仲寺山 案内図」。
天仲寺山は標高28mの小山で、
元々は広津山と呼ばれていました。
中津藩初代藩主小笠原長次は、… 続きを読む
小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
秀政の死後に宗玄寺に改めています。
小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の… 続きを読む
龍光寺は文京区本駒込にある臨済宗寺院。
伊勢龍光寺25世虎伯大宣が幕命で出府し、
小笠原忠知や京極高和ら幕閣が開基となり、
寛永9年(1632)に創建されました。
都内唯一の臨済宗東福寺派寺院とのこと。
「本堂」。
本堂… 続きを読む
小笠原真方は寛文7年(1667)に、
小倉藩2代小笠原忠雄の家督相続の際、
1万石を内分分知されて諸侯に列しました。
新田藩であった為に特定の領地を持たず、
藩主は江戸に定府していたようですが、
初期の藩主は小倉へ戻っていたようです。
※3代までの墓所は小倉の… 続きを読む
近松寺は鎌倉時代の創建とされ、
戦国時代に波多守親が再興していましたが、
兵火で伽羅を焼かれた後に、
唐津に入封した寺沢広高が再び再興し、
寺沢家の菩提寺となりました。
しかし次代寺沢堅高が島原の乱の責で自害。
寺沢家は断絶した為に寺運が衰退します。… 続きを読む
安志藩小笠原家の領内菩提寺は法性寺。
小笠原長興が安志藩に入った際に建立され、
小笠原家の庇護を受けて隆盛しました。
廃藩後は規模を縮小しています。
「法性寺本堂」。
本尊は木造薬師如来座像。
堂内に藩主一族の位牌が安置されており、
老朽化の為にSRC製となっています。
歴代藩主のうち領内で死去したのは、
2代… 続きを読む