高杉晋作の好物といえば[鯛]。
妻の雅や愛人のうのが、
鯛のあら煮、長州鮨、鯛の刺身や塩煮等、
鯛に関するものを挙げていますので、
相当鯛が好きだったと想像できます。
日記や手紙など多く残されている晋作ですが、… 続きを読む
高杉晋作の好物といえば[鯛]。
妻の雅や愛人のうのが、
鯛のあら煮、長州鮨、鯛の刺身や塩煮等、
鯛に関するものを挙げていますので、
相当鯛が好きだったと想像できます。
日記や手紙など多く残されている晋作ですが、… 続きを読む
晴天の休みの日。
色々と史跡を訪問したりしたいのですが、
先立つものが無ければ遠くに行けない。
そこで久々に東行庵に行ってみました。
「東行庵」。
東行庵はいつも季節の花々が咲いています。
東行池には錦鯉が泳いでいますので、
子供達も退屈じゃない。
「高杉晋作像」。
久々ですがまだまだピカピカですね。
変な言い方ですが、
早く劣化しないかなって思う。… 続きを読む
東行庵には山縣有朋の銅像があります。
平成27年4月14日の東行忌に除幕されており、
若き日の名である山縣狂介像と題されました。
「山縣狂介(有朋)像」。
東行庵の前身は山縣の草庵[無鄰菴]で、
その草庵を梅処尼(うの)に贈ったもの。
無鄰菴の名は隣家が無いからとのこと。… 続きを読む
慶応3年4月に山縣狂介(有朋)は、
湯玉の庄屋石川良平の長女お友と結婚。
※石川良平は後に下関市長となっています。
婚礼は4月11日より始まり、
12日には宴が開かれました。
婚礼の場所は正確には判っていませんが、
下関でも吉田でも無い場所なので、
石川良平宅ではないかと思われます。
その石川良平宅の場所が、
イマイチよくわからない。
豊浦町史二[宇賀の今昔]に、… 続きを読む
誘惑に弱い人というのは結構いるもので、
現在でも酒、女、ギャンブル等にハマって、
首が回らなくなるロクデナシはいるもの。
奇兵隊出身の商人山城屋和助は、
たぶんそういう人物でした。
山城屋和助(野村三千三… 続きを読む