紀伊田辺城は紀州藩の浅野家時代に、
家老浅野左衛門佐知近によって築城され、
一国一城令の際に陣屋に改築されたという。
紀州藩に徳川頼宣が入封してからは、
田辺領3万8000石が附家老安藤家に与えられ、… 続きを読む
和歌山県田辺市 紀伊田辺城跡
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紀伊田辺城は紀州藩の浅野家時代に、
家老浅野左衛門佐知近によって築城され、
一国一城令の際に陣屋に改築されたという。
紀州藩に徳川頼宣が入封してからは、
田辺領3万8000石が附家老安藤家に与えられ、… 続きを読む
新宮城は紀州藩の支城だった城で、
新宮藩立藩後には藩庁となっています。
城地は丹鶴山と呼ばれる小高い丘で、
源為義の娘丹鶴姫の住んだ東仙寺があり、
元々の新宮城は市内… 続きを読む
亀丘城は壱岐市にあった城郭で、
永仁2年(1294) に波多宗無が築城しました。
波多家は松浦郡波多郷の岸岳城を本拠とし、
壱岐全島を支配下に収めたとされますが、
重臣日高喜が謀反を起こして岸岳城を奪取。
しかし波多家は龍造寺家の援助を得て、
日高勢から岸岳城を奪還しています。
敗れた日高家は壱岐の亀丘城を本拠とし、… 続きを読む
米子城は吉川広家が築城した平山城で、
※諸説あり。
関ヶ原の戦い後に中村一忠に与えられ、
米子藩17万5000石の藩庁となった城。
徳川家康は一忠が幼少であった為に、
後見役として横田内膳を派遣しました。
内膳は家康の期待に応えて、… 続きを読む
伊賀上野城は津藩の支城。
一国一城令で大名の居城以外の城は、
破却を命じられていますが、
津藩領は伊勢国と伊賀国に跨っていた為、
伊賀国の一城として存続されます。
「白鳳門」。
上野高校と上野西小学校の間にある城門。… 続きを読む
大湯館は大湯城とも呼ばれ、
正確な築城年は不明ながら鎌倉中期に、
大湯氏が築城して居住したとされます。
戦国時代に大湯氏は南部家の配下となり、
江戸時代初期もこの地を治めましたが、
正保年間(1644~48)に断絶した為、
大湯は盛岡藩御三家北家… 続きを読む
久保田藩は盛岡藩との藩境の要衝十二所に、
本格的な城郭である十二所城を築城し、
その防御拠点としていましたが、
一国一城令によって破却されています。
十二所城は館構えに造り替えられ、
十二所館として山麓に設置されており、
盛岡藩との藩境警備の役割を負って、
更に周辺の行政を担いました。
「… 続きを読む