①/②
つづき。
「本陣山科屋跡」。
和久原川を渡った北側に本陣がありました。
山科屋は造酒業を営んでいたようで、
殿様が宿泊する部屋の床下は漆喰で固められ、
賊を入れさせないようにしていたようです。… 続きを読む
広島県三原市 三原宿跡②
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三原城は小早川隆景が築城した城で、
江戸時代は広島藩の支城となり、
一国一城令の例外として存続されました。
元々は水軍の拠点として沼田川河口に築かれ、
効率的な小早川水軍の運用に貢献しましたが、… 続きを読む
紀伊田辺城は紀州藩の浅野家時代に、
家老浅野左衛門佐知近によって築城され、
一国一城令の際に陣屋に改築されたという。
紀州藩に徳川頼宣が入封してからは、
田辺領3万8000石が附家老安藤家に与えられ、… 続きを読む
新宮城は紀州藩の支城だった城で、
新宮藩立藩後には藩庁となっています。
城地は丹鶴山と呼ばれる小高い丘で、
源為義の娘丹鶴姫の住んだ東仙寺があり、
元々の新宮城は市内… 続きを読む
亀丘城は壱岐市にあった城郭で、
永仁2年(1294) に波多宗無が築城しました。
波多家は松浦郡波多郷の岸岳城を本拠とし、
壱岐全島を支配下に収めたとされますが、
重臣日高喜が謀反を起こして岸岳城を奪取。
しかし波多家は龍造寺家の援助を得て、
日高勢から岸岳城を奪還しています。
敗れた日高家は壱岐の亀丘城を本拠とし、… 続きを読む
米子城は吉川広家が築城した平山城で、
※諸説あり。
関ヶ原の戦い後に中村一忠に与えられ、
米子藩17万5000石の藩庁となった城。
徳川家康は一忠が幼少であった為に、
後見役として横田内膳を派遣しました。
内膳は家康の期待に応えて、… 続きを読む