本陣跡」タグアーカイブ

下関市豊田町 西市

西市(西ノ市)は赤間関街道北道筋の市宿で、
室町時代より市場が興った場所でした。
木屋川上流よりの産物が集められて、
月に6度も市が開かれたようで、
江戸後期には日本海響灘瀬戸内から、
海魚が運ばれて魚市場も発達して、… 続きを読む

愛知県豊川市 御油宿跡

御油宿東海道五十三次の35番目の宿場
次の宿場である赤坂宿までは、
僅か2km程度の距離でした。
江戸時代には尻尾の短い猫の事を、
赤坂-御油間の距離の短さに例えて、
御油猫と呼んでいたという。


豊川市御油町周辺。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが御油宿跡。
緑のぼかしは… 続きを読む

愛知県豊川市 赤坂宿跡

赤坂宿東海道の36番目の宿場
御油宿吉田宿と共に飯盛女を多く抱え、
活気のある宿場町だったという。


豊川市赤坂町。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが赤坂宿跡。


赤坂休憩所 よらまいかん」。
街道散策の客や市民の無料休憩所。… 続きを読む

山口県山口市 小郡宿跡

小郡宿は古くからの山陽道の宿場町で、
山陰道との追分でもあった為、
交通の要所として長州藩から重視され、
宰判勘場も置かれていました。


御国廻御行程記 小郡」。
左右に続く道が西国街道で、
上へ至る道が山陰道(山口往還)です。


新山口駅北側周辺。緑の線が西国街道。… 続きを読む

愛知県豊橋市 吉田宿跡

吉田宿東海道の34番目の宿場で、
三河吉田藩の所領であったようです。
吉田城も近く城下町と宿場町が混在し、
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒と、
巨大な宿場であったという。


歌川広重 東海道五十三次之内 吉田」。… 続きを読む

山口県宇部市 船木宰判勘場跡/御茶屋跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。

初期の宰判は厚東郡吉見に置かれましたが、
御茶屋の移設に伴い宰判も船木に移動し、
宰判勘場と御茶屋が併設されました。… 続きを読む

山口県山口市 小郡宰判勘場跡/御茶屋跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。


小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む