酒井忠次は[徳川家康第一の功臣]と称され、
[徳川四天王][徳川十六神将]の筆頭。
庄内藩酒井左衛門尉家の祖でもあります。
知恩院上段中央の門を通ると墓地。
ここに忠次の墓があるとのこと。
忠次の菩提寺は知恩院塔頭先求院で、
墓所はこの知恩院総墓地にあります。… 続きを読む
京都府京都市 知恩院総墓地/酒井忠次墓所
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酒井忠次は[徳川家康第一の功臣]と称され、
[徳川四天王][徳川十六神将]の筆頭。
庄内藩酒井左衛門尉家の祖でもあります。
知恩院上段中央の門を通ると墓地。
ここに忠次の墓があるとのこと。
忠次の菩提寺は知恩院塔頭先求院で、
墓所はこの知恩院総墓地にあります。… 続きを読む
曹源寺には一度訪れてはいますが、
その際には池田家墓所には行けず断念。
色々と調べると庭園から墓所に行けるらしく、
今回再度訪問する事としました。
「曹源寺」。
岡山藩池田宗家の菩提寺。
岡山藩2代藩主池田綱政によって、
高祖父池田恒興及び、… 続きを読む
旗本井原池田家は池田長信を祖とし、
備中国井原周辺1200石を領した家系。
10代当主池田長發は非常に優秀な人物で、
第二回遣欧使節の正使に抜擢され、
フランス政府とパリ約定を締結しました。
「井原池田家墓所」。… 続きを読む
岡山藩家老家の片桐池田家は、
池田恒興の四男池田長政の系譜で、
長政は重臣片桐俊元の養子となり、
3万2000石を与えられました。
2代池田長明が幼少の為に減封され、
2万2000石となっていますが、
以後は岡山藩家老家として続き、
片桐池田家と呼ばれました。
※周匝周辺を領した事から、
周匝池田家… 続きを読む
岡山藩家老家の建部池田家は、
伊勢赤堀城城主森寺秀勝が池田恒興に仕え、
池田家の家老となった事に始まる家系。
2代森寺忠勝が継嗣なく死去した為、
恒興の次男池田長吉の次男森寺長定及び、
三男… 続きを読む
清泰院は岡山市南区にある禅宗の寺院。
他の宗派には属さない単立の寺院で、
鳥取藩池田家初代池田忠継及び、
2代池田忠雄の墓があります。
「本堂」。
慶長14年(1609)に池田利隆が建立、
※利隆は忠継や忠雄の兄で宗家2代。
始めは… 続きを読む
天城池田家初代当主池田由之は、
池田恒興の嫡男池田元助の嫡男であり、
本来は池田宗家の嫡流に当たります。
しかし恒興及び元助が討死した事により、
幼少の為に家督を相続する事が出来ず、
恒興の次男池田輝政が家督を相続。
この為に由之は輝政に仕える事となり、
鳥取藩への入封の際に米子城… 続きを読む