白石正一郎」タグアーカイブ

下関市長府 法華寺/大庭伝七墓所

法華寺は長府金屋町にある法華宗寺院。
その起源は国分尼寺であるとされ、
元和元年(1615)に現在地に移転しています。
初代藩主毛利秀元の側室正福院の両親が、
この寺に篤く帰依していた事から、
毛利家より寺田を賜り諦玄寺と称しました。
※明治3年に法華寺と改称。


本堂続きを読む

下関市長府 大庭伝七宅跡

大庭家長府大年寄を務めた家柄で、
幕末の当主大庭伝七白石正一郎の実弟。
正一郎とは20歳も離れた末弟であり、
血気盛んな若者であったようで、
尊皇攘夷運動に邁進していました。


大庭傳七・柯公旧宅跡」。
大年寄大庭家の屋敷があった場所。
現在は民家となっており、… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/白石廉作の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石廉作の墓碑。
白石廉作は白石正一郎の弟(六男)で、
恒遠醒窓の漢学私塾蔵春園に学び、
文を能くし筆札に巧みであったという。
兄を手伝って薩摩藩等との貿易に奔走し、
その過程で尊攘志士らと親交したようで、
奇兵隊が設立されると兄と共に入隊します。
平野国臣とは何度も会っており、… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/白石正一郎の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石正一郎の墓碑。
彼については何度も取り上げていますが、
竹崎の荷受問屋小倉屋の8代目。
熱心な神道信者であった白石は、
国学者鈴木重胤が下関立ち寄った際、
彼の教えを聞く機会を得ており、
弟子となって国学に傾倒したという。
家業についても精力的に取り組み、
多くの新規事業にも取り組んでいますが、
商敵からの妨害も多かったようです。… 続きを読む

三重県松阪市 松坂宿跡

松坂宿伊勢街道の宿場で、
松坂城の城下町にありました。
蒲生氏郷が整備した松坂城下町は、
楽市楽座の設置等や近江商人の誘致を行い、
積極的な商業の振興を図った為、
氏郷の転封後も商人の町として発展。
伊勢街道を城下に引き寄せた事も相まって、
商人達に多くの富をもたらしました。
特産物の松阪木綿江戸続きを読む