大蔵院は門司区田野浦にある真言宗の寺院。
縁起等はよくわかりませんが、
ここに長崎丸殉難者の招魂碑があります。
「大蔵院」。
広い墓域を持つお寺ですが、
正規の入口がよくわからずでした。
「長崎丸殉難者招魂碑」。
文久3年12月24日夜8時頃、
幕府の蒸気船長崎丸… 続きを読む
「真言宗」タグアーカイブ
東京都荒川区 養福寺/生駒家墓所
養福寺は荒川区日暮里にある真言宗の寺院。
正確な創建時期は不明ですが、
初代住職が寛永3年(1626)に死去しており、
それ以前の創建とされています。
「養福寺」。
本堂などの建築物は空襲で焼失しましたが、
写真奥の仁王門は焼失を免れており、
江戸期の木造建造物として現存しています。
周辺の他の寺と同様に多くの文人が訪れ、
ここで… 続きを読む
下関市豊田町 毛利秀包夫人引地君の墓
小早川元包の正室である引地君は、
豊後の戦国大名大友宗麟の末娘。
父同様に洗礼を受けたキリシタンで、
洗礼名はマセンシアであったという。
久留米城主となった小早川秀包に嫁ぎ、
秀包もその影響を受けて洗礼。
久留米城下に天主堂… 続きを読む
下関市豊田町 舜青寺/浮石義民の墓
浮石村は長府藩の筆頭家老である椙杜家領。
宝永5年(1708)の旱魃で被害を受け、
村民は減祖を役人に願い出ますが、
聞き入れられずに困窮に喘いでいました。
その翌年は天候に恵まれて豊作となり、
村民が喜んだのも束の間で、
役人は逆に年貢二割増を命じます。
村民はたまりかねて一揆を計画しますが、
庄屋らがこれをなだめて善後策を検討。
江戸… 続きを読む
福岡県福岡市 東長寺/福岡藩黒田家墓所
大同元年(806)に空海は唐から帰国し、
半年程博多へ滞在していますが、
密教東漸を祈願して不動明王像を彫り、
東長寺を建立したとされています。
※空海の創建した日本最古の寺とされる。
当初の東長寺は呉服町にあったようで、
巨大な伽羅を持つ大寺院でしたが、… 続きを読む
和歌山県九度山町 善名称院/真田昌幸墓所
幕末とは関係ありませんが、
九度山の真田庵に行ってみました。
関ケ原の戦いの前哨戦で上田城に籠城し、
徳川秀忠を翻弄した真田昌幸。
しかし本戦は東軍の徳川家康が勝利した為、
最早西軍… 続きを読む
長崎県平戸市 最教寺/松浦鎮信墓所
現在の最教寺のある場所は、
空海が唐より帰国した際に、
護摩を炊いたとされる場所。
この事から平戸藩初代藩主松浦鎮信は、
真言宗寺院の建設を思い立ちますが、
当時そこには曹洞宗寺院が建っていました。
鎮信は寺の住職に移転を要求しますが、… 続きを読む