乃木希典は歩兵第14連隊連隊長として、
明治10年の西南戦争に参戦。
主力に先行して熊本へ向かいますが、
2月22日に植木で薩軍の猛攻に遭い、
退却を余儀なくされます。
乱戦で隊旗旗手河原林少尉が撃たれ、
薩軍に… 続きを読む
福岡県北九州市 櫟木哲造曹長墓所
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乃木希典は歩兵第14連隊連隊長として、
明治10年の西南戦争に参戦。
主力に先行して熊本へ向かいますが、
2月22日に植木で薩軍の猛攻に遭い、
退却を余儀なくされます。
乱戦で隊旗旗手河原林少尉が撃たれ、
薩軍に… 続きを読む
長崎市西児島の小高い場所に、
佐古招魂社があります。
唐人屋敷跡より上へ登った辺りで、
そこは長崎湾が一望できる場所。
早朝よりこの小高い場所へ。
佐古招魂社への入口は、
仁田佐古地区ふれあいセンター近く。
階段脇には石標が設置してあり、
佐古招魂社の説明文が刻まれています。
石段を登ると右手に門が現れますが、
残念ながら門は閉ざされていました。… 続きを読む
延寿寺は川尻にある天台宗の寺院。
西南戦争時に西郷軍の野戦病院となり、
各地から薩軍の戦死傷者が運ばれ、
850余名が埋葬されました。
後年になって遺骨は故郷に戻り、
その殆どは改葬されましたが、
境内に慰霊碑が建立されています。
「本堂」。… 続きを読む
南洲墓地にある庄内士族の墓。
薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちしたり、
戊辰戦争で新政府軍を苦しめた庄内藩ですが、
敗戦後は比較的軽い処分となりました。
これは西郷隆盛の意向によるものとして、
以後の庄内では西郷を敬愛する者が多く、
西郷が下野して… 続きを読む
南洲墓地にある大山綱良の墓。
「大山綱良墓」。
初代鹿児島県令大山綱良の墓。
城下士樺山善助の次男に生まれますが、
後に大山四郎助の婿養子となりました。
精忠組に加入して勤皇を唱えますが、
寺田屋事件では鎮撫使… 続きを読む
南洲墓地にある島津啓次郎の墓。
「島津啓次郎之墓」。
島津啓次郎の墓。
佐土原藩11代藩主島津忠寛の三男で、
家老町田家の養子となっており、
鹿児島を経て東京に留学し、
勝海舟… 続きを読む
南洲墓地にある坂元申太郎の墓。
「坂本清緝墓」。
一番大隊四番小隊長坂元申太郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士坂元廉四郎の子で、
戊辰戦争で薩摩藩十二番隊に属し、
奥羽… 続きを読む