西南戦争」タグアーカイブ

鹿児島県鹿児島市 西郷家墓地

西郷家の墓所は南林寺にあったようで、
南林寺が廃仏毀釈で廃寺となった為、
墓地だけがその跡地に残っていましたが、
大正期の都市計画によって移転が決まり、
現在地に23基の墓石が改葬されました。
当時永野金山鉱業館長を務め、
薬師町に引っ越していた西郷菊次郎が、
移転に大きく関わったとされています。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 陸軍火薬庫跡

草牟田墓地にある陸軍火薬庫跡の碑。
薩摩藩は廃寺となった隆盛院跡に、
弾薬庫を設置していましたが、
廃藩置県に伴い陸軍に移管されています。
後の明治10年1月29日に明治政府は、
鹿児島士族の不穏な動きを察知。
県の… 続きを読む

宮崎県延岡市 今山八幡宮/延岡隊招魂碑

今山八幡宮は天平勝宝2年(750)に、
宇佐八幡宮(宇佐神宮)より勧請され創建。
土持家高橋家有馬家三浦家
牧野家内藤家と歴代領主がら崇敬され、
社領を与えられていました。


今山八幡宮」。… 続きを読む

宮崎県延岡市 山縣有朋中将陣頭指揮の地

西郷軍は8月15日早朝に和田越えに布陣し、
初めて自ら陣頭に立って指揮を行い、
北上する政府軍を迎え討ちますが、
対する政府軍参軍山県有朋中将も、
樫山山頂に陣を置いて全軍を指揮しました。
和田越決戦はまさに両陣営の総大将が、
直接激突した決戦となっています。


山縣有朋中将陣頭指揮の地」。
樫山町交差点続きを読む

宮崎県延岡市 和田越決戦之地

和田越えは延岡市街北側にある標高42mの
西南戦争での激戦地として知られます。


和田越決戦之地」碑。
記念碑の建てられた古戦場跡。
8月15日早朝に西郷隆盛は諸将を従えて、
ここで督戦をしたとされており、
新政府軍を指揮する山縣有朋も、
樫山でこれを督戦したとされています。… 続きを読む

宮崎県延岡市 小倉處平加療の地

小倉処平飫肥藩出身の秀才で、
郷党より「飫肥西郷」と称された人物。
西南戦争飫肥隊を率いて戦い、
奇兵隊総軍監にもなっていますが、
和田越えの決戦で負傷してしまいました。


小倉處平加療の地」。
決戦に敗れた西郷軍は長井村続きを読む

鹿児島県伊佐市 辺見十郎太涙松跡記念碑

明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
死をとして固守すること四句あまり
 ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
 あぁ、わがことすでに終る
」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。


辺見十郎太 続きを読む