明治維新という大きな流れを作り、
その中心的役割を果たした長州藩。
山口市は政事堂や教育機関が集まり、
また多くの志士達が各地かやって来て、
倒幕に向けて密議を交わしたという事で、
明治維新の策源地と呼ばれたとのこと。… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
山口県山口市 野田御殿跡
毛利敬親は明治2年に隠居し、
家督を養嫡子毛利元徳に譲りました。
その隠居所として御殿建設が計画され、
建設地を野田に定めて着工されますが、
敬親は明治4年に死去してしまい、
御殿に入居することはありませんでした。
完成した御殿は毛利公別邸となり、
明治天皇の山口行幸の際には、
その宿所としても利用されていますが、
後に御殿は取り壊されています。… 続きを読む
山口県山口市 渡川宿跡
渡川は山陰街道の半宿。
周防大内家により渡川城が築城され、
文明2年(1470)の大内道頓の乱の際には、
陶弘護が挙兵した道頓勢を撃退しています。
阿武川北側の田園地帯にあったようで、
街道は田園を横切って南下しており、
文字通り阿武川を[渡川]しています。
JR渡川駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渡川宿跡。
「… 続きを読む
山口県山口市 地福宿跡
地福は中国山地に囲まれた集落で、
海抜は約300mながら平坦な盆地で、
灌漑の便が良い事から開拓が進められ、
田園地帯となっていました。
村内に山陰街道が通っていた為に、
半宿にもなっていたようです。
「御国廻御行程記 地福(一部)」。
上の道が山陰街道ですが、
絵図を見る限り家屋は少なく、
阿武川対岸の方が多く感じられます。… 続きを読む
山口県山口市 板堂峠
板堂峠は周防国と長門国の境にある峠で、
萩往還中最高度の場所でした。
周辺はかつて銀が産出されていた為、
採銀作業の安全を祈願した御堂があり、
この御堂が板葺であったことから、
板堂峠と呼ばれるようになったという。
「… 続きを読む
山口県山口市 井上源三郎家墓所
吉富家や周布政之助の墓がある船田墓地で、
大組士井上源三郎家の墓を発見しました。
新撰組六番隊組長に同名の人物がいますが、
そちらとは全く関係はありません。
源三郎家は安芸井上家の庶流で、
井上豊前守光良を家祖としており、
曾孫の井上元盛は… 続きを読む
山口県山口市 吉富家墓所
吉富家は吉敷郡矢原村の豪農で、
当主は代々庄屋や大庄屋を務めています。
幕末の当主吉富藤兵衛は井上聞多と旧知で、
農民ながら尊皇攘夷思想に関心を持ち、
下関攘夷戦… 続きを読む
