元治元年8月、太田市之進、山田市之允、
品川弥二郎らが御盾隊を結成し、
三田尻の桑山をその本営としました。
後に戦死者を祀る桑山招魂場が造営され、
社殿が建立されて桑山招魂社となり、
桑山護國神社、桑山社と改称して、
現在は防府市護國神社となっています。
「社殿… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
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山口県防府市 大楽寺/楫取素彦夫妻墓所
大楽寺北墓地にある楫取素彦夫妻の墓。
楫取は大河「花燃ゆ」の主人公美和子の夫で、
少し知られるようになった人物ですが、
その描かれ方が非常に酷いもので、
本来の彼の功績は殆ど語られず、
虚像でヒーローとされてしまいました。
僕が「花燃ゆ」の文句をってしまうと、
無限に文章に出来てしまいますので、
これはセーブしたいと思いますが、
実際は大河とは別の活躍をしています。
「正二位勲一等男爵楫取素彦墓(右)」、… 続きを読む
山口県防府市 大楽寺/毛利重就分骨塔
長州藩7代藩主毛利重就は、
困窮していた藩財政を立て直す為に、
数々の藩政改革を断行。
後の幕末期に藩が行動する為の軍資金を、
蓄える基礎を築いた名君とされます。
重就は天明2年(1782)に隠居していますが、
隠居後は三田尻御茶屋で余生を過ごし、
寛政元年(1789)に死去。
遺骸は歴代墓所の… 続きを読む
山口県光市 撫育方室積会所跡
長州藩7代藩主毛利重就により、
宝暦年間(1751-1763)に撫育方が新設。
増益した資金を特別会計として蓄え、
いざという時の為の資金としました。
この資金を増やす為に長州藩は、
海上輸送の商品流通に係わるようになり、
室積、中関、… 続きを読む
山口県大島郡 残兵斬首跡
慶応2年6月に起こった大島戦争において、
一時幕府軍は周防大島を占領しますが、
丙寅丸の奇襲や上陸作戦での勝利により、
幕府軍は撤退して周防大島は奪還されます。
長州勢は敗残の松山藩兵を捕らえますが、
そのうち士分14名が斬首に処され、
その首が晒し首… 続きを読む
山口県大島郡 大島宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。
大島宰判勘場は上関宰判管轄の一部を除き、
大島郡のほぼ全域を支配していました。
「大島宰判勘場跡(久賀農協会館)」。… 続きを読む