中国地方の覇者毛利元就は元亀2年(1571)、
吉田郡山城のお里屋敷で危篤に陥り、
6月14日の巳の刻に死去しました。
遺骸は大通院に移されて葬儀が行われ、
初七日の法会の後に火葬。
遺骨は大通院境内に埋葬されました。
「毛利元就公火葬場伝承地」。
吉田郡山城西麗にある火葬場跡。… 続きを読む
広島県安芸高田市 毛利元就墓所
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中国地方の覇者毛利元就は元亀2年(1571)、
吉田郡山城のお里屋敷で危篤に陥り、
6月14日の巳の刻に死去しました。
遺骸は大通院に移されて葬儀が行われ、
初七日の法会の後に火葬。
遺骨は大通院境内に埋葬されました。
「毛利元就公火葬場伝承地」。
吉田郡山城西麗にある火葬場跡。… 続きを読む
宍戸隆家は安芸宍戸家13代当主で、
毛利元就の娘五龍局を娶り、
毛利家一門となった人物でした。
「宍戸隆家墓所」。
隆家の菩提寺天叟寺の跡で、
墓所への道は案内板も設置されていますが、
矢印通りに行くと柵で行けません。… 続きを読む
理窓院は甲田町にある真言宗寺院。
宍戸元源が建立した宍戸家の菩提寺で、
元源の墓所となっています。
「本堂」。
理窓院は安芸高田市唯一の真言宗寺院。
元々は禅宗であったとされており、
寛永4年(1627)に真言宗に改宗したという。
本堂は国指定重要文化財… 続きを読む
安芸高田市はかつての毛利家本領。
毛利家家臣団の先祖の墓所が多くあり、
今回はそれらを巡ってみようと思います。
長州藩筆頭家老安芸宍戸家は、
鎌倉殿の13人のひとり八田知家の四男で、
所領から宍戸姓を名乗った宍戸家政から、… 続きを読む
宗勝寺は福岡市東区下原の曹洞宗寺院。
「宗勝寺」。
小早川隆景の重臣乃美宗勝が、
隆景に従い立花城代を務めていた際、
その妻を病で亡くしてしまい、
彼女を弔う為に真福寺を建立。
後に宗勝は文禄の役… 続きを読む
初の染井霊園訪問。
訪問時は生憎の小雨日和でしたが、
これから少しずつ墓所を巡ります。
「正五位勲六等正木退蔵
配 齋藤久里子之墓」。
長州藩出身の教育者正木退蔵と、
その妻斎藤久里子の墓。
大組士正木治右衛門の三男に生まれ、… 続きを読む
佐々並宿は萩往還の宿場町。
※佐々並市、佐々並驛とも呼ばれますが、
このブログでは宿で統一しています。
萩城下と三田尻の中間点に位置しており、
藩主が休泊する御茶屋の設置と共に、
駅宿… 続きを読む