初の染井霊園訪問。
訪問時は生憎の小雨日和でしたが、
これから少しずつ墓所を巡ります。
「正五位勲六等正木退蔵
配 齋藤久里子之墓」。
長州藩出身の教育者正木退蔵と、
その妻斎藤久里子の墓。
大組士正木治右衛門の三男に生まれ、… 続きを読む
東京都豊島区 染井霊園/正木退蔵墓所
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初の染井霊園訪問。
訪問時は生憎の小雨日和でしたが、
これから少しずつ墓所を巡ります。
「正五位勲六等正木退蔵
配 齋藤久里子之墓」。
長州藩出身の教育者正木退蔵と、
その妻斎藤久里子の墓。
大組士正木治右衛門の三男に生まれ、… 続きを読む
佐々並宿は萩往還の宿場町。
※佐々並市、佐々並驛とも呼ばれますが、
このブログでは宿で統一しています。
萩城下と三田尻の中間点に位置しており、
藩主が休泊する御茶屋の設置と共に、
駅宿… 続きを読む
国司家6代当主国司元武は、
父国司元相の隠居により家督を継ぎ、
毛利家五奉行のひとりとして活躍。
毛利輝元の守役も務めており、
輝元より絶大な信頼を得ていたという。
息子の早世で跡取りが居なかった為、
弟の国司元蔵に家督を譲りますが、
隠居後も朝鮮出兵… 続きを読む
参勤交代や領内巡視の休泊や、
迎賓の場として使用された御茶屋。
長州藩領各地に建設されていましたが、
現在は三田尻のもののみが現存しており、
修復保存されて一般公開されています。
「英雲莊(三田尻御茶屋跡)」。
昭和14年に防府市に寄付されますが、… 続きを読む
上関御茶屋跡の隣にある上関番所跡。
「旧上関番所」。
御茶屋跡の西側にある番所跡。
通行船の取締を行うと共に、
運上金の徴収事務を行った施設跡で、
その建物が現存しています。
番所は始めは四代に置かれていましたが、
上関海峡が通行の中心となった為に、… 続きを読む
享保年間中頃まで長州藩主の参勤交代は、
萩往還より三田尻に陸路に至った後、
海路で大坂まで進んで淀川を遡り、
伏見から陸路で進んでいました。
その海路の途中にあるのが上関海峡で、
その両岸(上関/室津)には往来する船が集まり、… 続きを読む
文久3年8月18日、
八月十八日の政変が発生。
大和行幸延期、急進派公家15人の禁足及び、
長州藩を堺町門の警備の任から解き、
京都からの退去が勧告されます。
失脚した公家15人のうち、
三条実美ら七人の公卿(七卿)は、
※七卿は三条実美の他に、… 続きを読む