長州藩」タグアーカイブ

山口県山口市 普門寺観音堂

普門寺は山口市白石にある臨済宗寺院。
大内家8代大内弘幸の弟大内弘直が、
延元元年(1336)に創建した寺でした。
16代大内義隆後奈良天皇に奏請し、
勅願寺にもなりましたが、
大寧寺の変の戦渦で堂宇は全て焼失。… 続きを読む

山口県山口市 山口大学創基の地

一の坂川交通交流広場の敷地に、
山口大学創基の地」碑があります。


山口大学創基の地」碑。
山口大学は私塾山口講堂を淵源とし、
昭和24年に旧制山口高等学校
山口経済専門学校山口師範学校
山口青年師範学校続きを読む

山口県防府市 防府市護國神社

元治元年8月、太田市之進山田市之允
品川弥二郎らが御盾隊を結成し、
三田尻の桑山をその本営としました。
後に戦死者を祀る桑山招魂場が造営され、
社殿が建立されて桑山招魂社となり、
桑山護國神社、桑山社と改称して、
現在は防府市護國神社となっています。


社殿続きを読む

山口県防府市 大楽寺/楫取素彦夫妻墓所

大楽寺北墓地にある楫取素彦夫妻の墓。
楫取は大河「花燃ゆ」の主人公美和子の夫で、
少し知られるようになった人物ですが、
その描かれ方が非常に酷いもので、
本来の彼の功績は殆ど語られず、
虚像でヒーローとされてしまいました。
僕が「花燃ゆ」の文句をってしまうと、
無限に文章に出来てしまいますので、
これはセーブしたいと思いますが、
実際は大河とは別の活躍をしています。


正二位勲一等男爵楫取素彦墓(右)」、… 続きを読む

山口県防府市 大楽寺/毛利重就分骨塔

長州藩7代藩主毛利重就は、
困窮していた藩財政を立て直す為に、
数々の藩政改革を断行。
後の幕末期に藩が行動する為の軍資金を、
蓄える基礎を築いた名君とされます。

重就は天明2年(1782)に隠居していますが、
隠居後は三田尻御茶屋で余生を過ごし、
寛政元年(1789)に死去。
遺骸は歴代墓所の… 続きを読む

山口県光市 撫育方室積会所跡

長州藩7代藩主毛利重就により、
宝暦年間(1751-1763)に撫育方が新設。
増益した資金を特別会計として蓄え、
いざという時の為の資金としました。
この資金を増やす為に長州藩は、
海上輸送商品流通に係わるようになり、
室積中関、… 続きを読む

山口県大島郡 残兵斬首跡

慶応2年6月に起こった大島戦争において、
一時幕府軍周防大島を占領しますが、
丙寅丸の奇襲や上陸作戦での勝利により、
幕府軍は撤退して周防大島は奪還されます。

長州勢は敗残の松山藩兵を捕らえますが、
そのうち士分14名が斬首に処され、
その首が晒し首続きを読む