呼坂の名は集落がV字形の坂になっており、
下への呼び声がよく聞こえたことに由来し、
また海老坂が変化したともされています。
西国街道の宿場に指定された事で、
賑わったとされています。
「御国廻御行程記 呼坂」。
中村川左右に市が開かれていたようですが、
当初は少し西側の丘陵に市があったとされ、
発展したのは近世以降とのこと。
周南市呼坂本町周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
山口県光市 熊毛宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「光市立周防小学校」。
現在の周防小学校の敷地が勘場の跡地。
宰判勘場の遺構は全くの皆無ですが、
校舎と運動場に高低差があるので、… 続きを読む
山口県下松市 花岡宿跡
花岡は和同2年(709)創建の八幡宮周辺が、
一夜にして桜花で包まれた事に因むとか、
岡の端で端岡というのが変化したなど、
地名の由来は諸説ありますが、
古くから花岡八幡宮の門前町として栄え、
江戸時代以降は宿場にも指定されて、
隆盛を極めていたようです。
「… 続きを読む
山口県萩市 浜崎宰判勘場跡/御船倉
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
浜崎宰判は御船倉に設置されていますが、
その管轄は近隣の七浦、七島だったという。… 続きを読む
下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所
関ヶ原の敗戦で改易となった小早川秀包は、
毛利輝元によって再び召し抱えられて、
小早川姓を捨てて毛利秀包を名乗ります。
※小早川秀秋の裏切りを忌み嫌った為。
しかしその翌年に病死してしまい、
家督は嫡男の毛利元鎮が相続。
元鎮は父秀包の亡骸を滝部に葬りました。… 続きを読む
山口県宇部市 山中宿跡
山中宿は西国街道の宿場町ですが、
宿場は下市と上市に分かれていました。
宇部市山中周辺。緑の線が街道筋。
街道は甲山川に沿って進みます。
西側の青ぼかしが下山中宿(下市)で、
東側の青ぼかしは上山中宿(上市)。
まずは西側の下山中宿から。
「下山中宿跡」。
国道2号線沿いにある下山中宿跡。… 続きを読む
山口県萩市 当島宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
当島宰判勘場は阿武郡西部地域を統括し、
その管轄には萩城下も含まれていたという。
「当島宰判勘場跡… 続きを読む