壇ノ浦の対岸である門司の和布刈は、
下関側に突き出すような形状になっており、
関門海峡が最も狭くなっている場所です。
早鞆の瀬戸周辺(門司側が和布刈)
最も狭くなっている場所ですので、
橋やトンネルが建設されている訳ですが、
それ以前から交通や戦略の要所でした。
源平頃には門司城が築城されており、
本州側への睨みを利かせています。
戦国時代には… 続きを読む
「下関攘夷戦」タグアーカイブ
コメントを残す
下関市みもすそ川町 灯篭堂砲台他
大砲のレプリカが並ぶ壇ノ浦周辺は、
下関の観光スポットの一つ。
歩いて門司に渡れる関門トンネルの人道や、
源義経と平教経の像などもありますが、
他に火の山に登るロープウェイもあります。
この火の山という山は、
海峡に添うようにそびえる山で、
名前から火山を想像しそうですが、
別に火山ではありません。
この山に… 続きを読む
下関市みもすそ川町 関門橋が消える
関門海峡には関門橋が掛かっています。
勿論幕末当時は関門橋は掛かっておらず、
通行は渡船のみでした。
関門橋は昭和48年に開通した吊橋。
開通時点では東洋最長であったという。
関門海峡には稀に霧が発生するのですが、
その霧が対岸の門司を隠してしまうことも。
今回は偶然にも霧が発生しましたので、
写真に収めました。
それがこちら↓
殆ど関門橋が消えています。… 続きを読む
アーネスト・サトウにふるまった西洋料理
アーネスト・サトウ著
[一外交官の見た明治維新]によると、
下関戦争の講和後の元治元年8月27日、
伊藤博文に西洋風料理で接待されています。
出された料理は6品。
1.煮たロックフィッシュ
2.鰻の焼いたもの
3.すっぽんのシチュー
4.アワビの塩蒸… 続きを読む
下関市新地町 妙蓮寺/中島名左衛門の墓
高杉東行終焉之地の向かいの妙蓮寺に、
中島名左衛門の墓があります。
妙蓮寺は攘夷戦の際、
長州藩兵の宿舎となっていた場所でした。
「妙蓮寺」。
寺には高杉東行終焉之地にある東の門と、
駐車場のある南側の門があります。
中島名左衛門は長崎出身の砲術家で、
高島流砲術… 続きを読む
奇兵隊女隊士 高橋菊
下関市長府 覚苑寺/長府藩毛利家墓所
長府の城下町のはずれにある覚苑寺は、
長府毛利家の3つある菩提寺のひとつ。
※他は功山寺、笑山寺。
下関攘夷戦の本陣はここに置かれました。
「覚苑寺山門」。
覚苑寺は長府藩3代藩主毛利綱元… 続きを読む