彦島に竹の子島という小さな島があります。
吉田松陰の海防視察日記[廻浦紀略]では、
松陰がここに上陸して視察を行っており、
南風泊から小船で竹の子島に渡り、
壱之台、弐之台、六之台を巡視しました。
松陰は小船で渡りましたが、
現在は橋が架けられていますので、
車でそのまま上陸する事が出来ます。
※下関駅から直通のバスもあります。… 続きを読む
「下関攘夷戦」タグアーカイブ
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下関市中之町 亀山八幡宮
亀山八幡宮は長門国三宮。
地元では亀山さんと呼ばれています。
この神社の境内に砲台が設置され、
攘夷戦の第1発目が発射されました。
境内に砲台が設置された理由は、
海に面していた神社だったからでしょう。
※現在は埋め立てらて海に面してはいない。
埋め立てされていない当時の亀山八幡宮。
石段の奥側が堂崎の渡し場で、
そこにある建物が津口番所と思われます。… 続きを読む
山口県山陽小野田市 洞玄寺/厚狭毛利家墓所
厚狭毛利家は毛利元就の五男毛利元秋が、
厚狭周辺を与えられたのに始まります。
洞玄寺はその厚狭毛利家の菩提寺で、
本堂裏手には厚狭毛利家の墓所があります。
洞玄寺山門。
幕末期の洞玄寺住職実音和尚は、
奇兵隊反乱に加担した指導者の一人で、
反乱軍が鎮圧されると行方をくらました為、
洞玄寺は一時廃寺になりかけたという。
「… 続きを読む
下関市前田 前田台場跡
■2020/02/01 写真差し替え及び記事修正。
「長州藩下関前田台場跡」。
前田台場は攘夷戦に備えて築かれた台場で、
文久3年5月に海峡を渡る外国船を砲撃し、
6月に米仏海軍に報復攻撃を受けています。
ベアトによる前田台場占領時の写真。
6月1日の米艦… 続きを読む