下関攘夷戦」タグアーカイブ

天誅組以前の中山忠光⑤

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攘夷の魁たる長州藩が、
 外国製の軍艦や武器を買うとは何事か!
 そんなものは打ち壊してしまえ!
」。

中山忠光長州藩軍備の洋式化に激怒。
高性能の武器を揃える事は当たり前で、
言っている事は無茶苦茶なのですが、… 続きを読む

山口県萩市 光福寺/中島名左衛門墓所

萩市の市街地のはずれ、
椿地区の山の斜面に立つ光福寺
ここに下関で暗殺された長崎の砲術家、
中島名左衛門の墓があります。

中島は長州藩から砲術教授として招かれ、
藩主世子毛利定広と共に下関に赴き、
外国船打ち払い後の砲台巡視を行いました。
竹崎の白石正一郎邸で戦術会議が行われ、
長府藩主毛利元周、総奉行の毛利宣次郎、… 続きを読む

下関市前田 角石陣屋跡

文久3年に起こった下関戦争は、
世界的にもニュースになった事件で、
有名な前田砲台占領の写真やスケッチが、
欧米の新聞などに掲載されています。
占領の様子を写した写真家ベアトの写真は、
歴史教科書幕末書籍に掲載されており、
砲撃戦が描かれた絵も多く残っていますが、
従軍画家のワーグマン続きを読む

下関市井田 来福寺/藩主正室らの避難場所

文久3年の長州藩攘夷決行に際し、
支藩の長府藩も宗家と共に行動しますが、
戦場となるのが長府藩領であるだけに、
色々と諸問題が発生します。

長府藩の藩庁である長府陣屋は、
破却された櫛崎城三ノ丸跡である為、
攘夷戦で外国船が反撃に転じた場合、
大砲が届く非常に不利な場所でした。… 続きを読む

下関市長府 功山寺/下村文次郎墓所

功山寺の墓地には三吉慎蔵や、
泉十郎豊永長吉(印藤聿)、
三吉周亮等の墓があることが知られますが、
まだ多くの人物の墓があったりします。
有名どころ以外は説明板も無く、
無縁となったりしてるものは、
整備されずに草に覆われていたりします。
墓地内を歩き突状方柱型の墓石を見つけ、
没年が慶応や明治初期だったりしたら、
調べてみると意外な人物だった。

そんな感じで、… 続きを読む