「攘夷の魁たる長州藩が、
外国製の軍艦や武器を買うとは何事か!
そんなものは打ち壊してしまえ!」。
中山忠光は長州藩軍備の洋式化に激怒。
高性能の武器を揃える事は当たり前で、
言っている事は無茶苦茶なのですが、… 続きを読む
萩市の市街地のはずれ、
椿地区の山の斜面に立つ光福寺。
ここに下関で暗殺された長崎の砲術家、
中島名左衛門の墓があります。
中島は長州藩から砲術教授として招かれ、
藩主世子毛利定広と共に下関に赴き、
外国船打ち払い後の砲台巡視を行いました。
竹崎の白石正一郎邸で戦術会議が行われ、
長府藩主毛利元周、総奉行の毛利宣次郎、… 続きを読む
文久3年に起こった下関戦争は、
世界的にもニュースになった事件で、
有名な前田砲台占領の写真やスケッチが、
欧米の新聞などに掲載されています。
占領の様子を写した写真家ベアトの写真は、
歴史教科書や幕末書籍に掲載されており、
砲撃戦が描かれた絵も多く残っていますが、
従軍画家のワーグマン… 続きを読む
文久3年の長州藩の攘夷決行に際し、
支藩の長府藩も宗家と共に行動しますが、
戦場となるのが長府藩領であるだけに、
色々と諸問題が発生します。
長府藩の藩庁である長府陣屋は、
破却された櫛崎城の三ノ丸跡である為、
攘夷戦で外国船が反撃に転じた場合、
大砲が届く非常に不利な場所でした。… 続きを読む
功山寺の墓地には三吉慎蔵や、
泉十郎、豊永長吉(印藤聿)、
三吉周亮等の墓があることが知られますが、
まだ多くの人物の墓があったりします。
有名どころ以外は説明板も無く、
無縁となったりしてるものは、
整備されずに草に覆われていたりします。
墓地内を歩き突状方柱型の墓石を見つけ、
没年が慶応や明治初期だったりしたら、
調べてみると意外な人物だった。
そんな感じで、… 続きを読む