金子文輔の馬関攘夷従軍筆記③
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現在の亀山八幡宮の大鳥居は、
昭和8年に建てられたもので、
幕末当時のものではありません。
幕末当時の大鳥居は建て替えの際、
裏手に移築されて現在も残っています。
「車参道鳥居」。
亀山八幡宮北側の車参道の鳥居で、
江戸、明治期の大鳥居であったもの。
つまり、攘夷戦で欧米諸国が見ていたり、
幕末の志士が参拝の際にくぐった鳥居は、
この鳥居ということになります。
元治元年に撮影された… 続きを読む
元治元年2月。
四国連合艦隊が下関攻撃を決定した為、
外国側と交渉してこれを回避するべく、
幕府より調停役を命じられた勝海舟は、
総勢47名の大所帯で長崎に向かいます。
この一行に坂本龍馬ら勝の門弟も同行し、
龍馬は初めて長崎を訪れる事になりました。
2月14日に一行は翔鶴丸… 続きを読む
長州藩は下関で外国船砲撃を行っており、
これは一般的にも知られる事件ですが、
その137年前の享保11年(1726)に、
須佐湾に侵入した外国船に対して、
その討ち払いを行っています。
永代家老益田家の領地須佐湾に唐船が現れ、
これに対して攻撃を加えて沈めた事件で、
当時の一隻の唐船さえ難儀していたのに、
西洋の黒船… 続きを読む