大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながら雨が降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む
山口県防府市 繁枝神社/大楽先生之碑
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大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながら雨が降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む
久留米市にある山川招魂社に行ってみました。
久留米の幕末志士といえば、
水天宮の神官で過激な尊攘活動家真木和泉。
彼によって久留米藩で水戸学が盛んとなり、
天保学連と呼ばれた尊攘派が生まれました。
しかしな門閥派との抗争によって弾圧され、
藩内の天保学連は壊滅。
久留米藩は佐幕派によって運営され、
真木らは10年に及ぶ蟄居処分となります。
この事件は… 続きを読む
高山彦九郎の墓がある遍照院に、
大楽源太郎の墓もあります。
「耿介四士之墓」と、
四士を殺害した3人の墓。
奇兵隊脱退騒動で大楽源太郎ら4名は、
新政府に非協力的な久留米藩を頼ります。
久留米藩は大楽らを歓迎していましたが、
新政府からの圧力を受けて、
挙句に大楽らの誅殺してしまいました。
この耿介四士之墓は、… 続きを読む
高山彦九郎は江戸後期の勤皇思想家。
京都三条大橋東詰の土下座像が有名です。
※正確には皇居望拝。
高山は孝明天皇の2代前の光格天皇の時代、
尊号一件と呼ばれる事件で、
朝廷と幕府… 続きを読む
久留米城は久留米藩21万石の藩庁。
元々毛利元就の九男小早川秀包の居城でしたが、
秀包は関が原の戦い後に改易されています。
その後秀包は小早川姓を捨てて毛利秀包と改姓。
※小早川秀秋がその名を汚した為。
長州藩を頼りましたが翌年に病死しています。… 続きを読む