久留米藩」タグアーカイブ

山口県防府市 繁枝神社/大楽先生之碑

大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながらが降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む

福岡県久留米市 山川招魂社

久留米市にある山川招魂社に行ってみました。
久留米の幕末志士といえば、
水天宮の神官で過激な尊攘活動家真木和泉

彼によって久留米藩水戸学が盛んとなり、
天保学連と呼ばれた尊攘派が生まれました。
しかしな門閥派との抗争によって弾圧され、
藩内の天保学連は壊滅。
久留米藩は佐幕派によって運営され、
真木らは10年に及ぶ蟄居処分となります。
この事件は… 続きを読む

天誅組以前の中山忠光⑥

/////⑥

中山忠光が再び下関にやってくると、
これを好機としたのが久坂玄瑞でした。

京で活動していた久坂ら尊攘志士30余人らは、
攘夷期限が決定されると下関に向かい、
自ら攘夷戦に参加しようとします。
ですが京では… 続きを読む

福岡県久留米市 遍照院/耿介四士之墓

高山彦九郎の墓がある遍照院に、
大楽源太郎の墓もあります。


耿介四士之墓」と、
四士を殺害した3人の墓
奇兵隊脱退騒動で大楽源太郎ら4名は、
新政府に非協力的な久留米藩を頼ります。
久留米藩は大楽らを歓迎していましたが、
新政府からの圧力を受けて、
挙句に大楽らの誅殺してしまいました。
この耿介四士之墓は、… 続きを読む

福岡県久留米市 遍照院/高山彦九郎墓所

高山彦九郎は江戸後期の勤皇思想家。
京都三条大橋東詰の土下座像が有名です。
※正確には皇居望拝

高山は孝明天皇の2代前の光格天皇の時代、
尊号一件と呼ばれる事件で、
朝廷幕府続きを読む

福岡県久留米市 久留米城跡

久留米城久留米藩21万石の藩庁。

元々毛利元就の九男小早川秀包の居城でしたが、
秀包は関が原の戦い後に改易されています。
その後秀包は小早川姓を捨てて毛利秀包と改姓。
小早川秀秋がその名を汚した為。
長州藩を頼りましたが翌年に病死しています。… 続きを読む