湯島聖堂は文京区湯島にある孔子廟。
元禄3年(1690)に5代将軍徳川綱吉が、
忍岡聖堂に代わる施設として建立したもの。
当時の儒学振興が幕府の政策であった為、
当時あった忍岡聖堂の創建過程が、
その中心施設に相応しくないという理由から、
新しく建立されたものでした。
※忍岡聖堂は林羅山が尾張藩の資金を得て、
私的に建築したもの。
「… 続きを読む
東京都文京区 湯島聖堂
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湯島聖堂は文京区湯島にある孔子廟。
元禄3年(1690)に5代将軍徳川綱吉が、
忍岡聖堂に代わる施設として建立したもの。
当時の儒学振興が幕府の政策であった為、
当時あった忍岡聖堂の創建過程が、
その中心施設に相応しくないという理由から、
新しく建立されたものでした。
※忍岡聖堂は林羅山が尾張藩の資金を得て、
私的に建築したもの。
「… 続きを読む
寛永7年(1630)に3代将軍徳川家光は、
上野忍岡5000坪の土地を林羅山に与え、
書院と聖廟を建てさせていますが、
これを羅山が家塾としています。
元禄3年(1663)には5代将軍徳川綱吉は、
神田湯島… 続きを読む
功山寺境内の旧長門尊攘堂への石段脇に、
儒学者小田南陔らの墓があります。
「済川先生墓(右)」「南陔先生墓(右2)」、
「嶽陽先生墓(左2)」、
「嶺雲院清菴常涼居士(左)」。
小田亨叔(済川)の墓、小田南陔(圭)の墓、… 続きを読む
半学舎は浄圓寺境内に開かれた私塾で、
明治10年に官許を得て開設されました。
「浄圓寺」。
四日市市大鐘町にある真宗大谷派の寺院。
この寺に生まれた大賀賢励は、
幼少期より儒学… 続きを読む
長府侍町2丁目路地角の小さな碑。
そこにかつて長府藩の藩校敬業館があり、
一時集童場も置かれていた場所でした。
「敬業館及集童場址」碑。
宗家長州藩の藩校である明倫館は、
5代藩主毛利吉元が創設したもので、… 続きを読む
多久家4代多久茂文は領内で教育を振興し、
椎原山山麓に郷校東原庠舎を開設。
後に孔子を祀る聖廟を創建されており、
これが多久聖廟として現存しています。
「孔子の里 多久聖廟」。
郷校東原庠舎の跡地が整備され、
孔子の里 … 続きを読む
梅田雲浜は小浜藩の儒学者山口菅山より、
崎門学を学んでこれに傾向し、
大津の崎門学者上原立斎の門下となります。
才能を認められた雲浜は立斎の娘を娶り、
自らも私塾湖南塾を開きました。
大津宿より歩いて湖南塾跡へ。… 続きを読む