豊臣秀吉の旗本であった蒔田広定は、
父の蒔田広光が死去すると、
その跡を継いで1万石の大名となりましたが、
関ヶ原の戦いで西軍に属したために改易。
後に舅であった大島光義や、
親交のあった浅野行長らの尽力で許されて、
備中浅尾に転封となり… 続きを読む
「学校・学問所・私塾」タグアーカイブ
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岡山県高梁市 備中松山城②
岡山県津山市 津山城跡
津山城は津山藩の藩庁。
美作国は領主が幾度も代わった地で、
小早川秀秋の領地でしたが、
秀秋の死で小早川家が無嗣改易となり、
川中島藩より森忠政が入封します。
忠政は新たな居城の建設を計画し、
築城場所をめぐって家中で騒動が発生し、
暗殺や出奔等の騒ぎが起きています。
紆余曲折を経て… 続きを読む
大分県日田市 咸宜園跡
日田の咸宜園は日本最大規模の私塾で、
全国各地より入門者が殺到し、
最盛期には約5000人もの門下が学びました。
咸宜園の著名な門下生としては、
蛮社の獄で弾圧された蘭学者高野長英、
シーボルトにも学んだ岩国藩の藩医岡研介、
日本陸軍の基礎を築いた大村益次郎、… 続きを読む
大分県日田市 廣瀬淡窓関連史跡
日田の城下町である豆田町で、
廣瀬淡窓関連の史跡を巡ります。
「豆田町の街並み」。
御用商が軒を連ねていた城下町は、
当時の建物が状態よく保存されており、
観光名所として雑貨屋になっていたり、
蕎麦屋になっていたりと、
訪れる人達を楽しませてくれています。
「廣瀬資料館(廣瀬淡窓旧宅)」。
廣瀬家や所縁の品や書物を展示する資料館。
御用商… 続きを読む
長野県伊那市 高遠城跡
高遠城の築城時期は正確には不明で、
諏訪家一門の高遠頼継の居城だったとされ、
武田信玄の諏訪攻略を援護したようです。
しかし頼継は後に信玄と対立して敗北。
高遠城は武田家の信濃進出の拠点となり、
山本勘助や秋山信友が大規模改築して、
信玄の庶子四郎勝頼の諏訪家継承により、
勝頼が高遠城の城主となりました。
信玄の嫡子武田義信… 続きを読む
愛知県刈谷市 刈谷城跡
刈谷城は徳川家康の祖父水野忠政が築城し、
江戸時代を通じ譜代大名が入っています。
於大の方(家康の実母)の兄水野信元が、
今川家を裏切り織田家に与した為、
於大の方は離縁させられており、
後に久松俊勝と再婚。
桶狭間で… 続きを読む