禁門の変の前夜、在京の加賀藩世嗣前田慶寧は、
家臣らを集めて今後の方針を議論しました。
激論の末に3つの意見に別れ、
1つ目は、尊攘派による長州藩同調論。
2つ目は、佐幕派による長州藩排除論。
3つ目は、中立を保って自立割拠論。
最終的には「御周旋は充分行届あれば、
自今御守衛を専一するを可とせり」
という年寄奥村栄通の意見が採用されて、
翌朝未明に慶寧は宮中警護… 続きを読む
滋賀県高島市 正行院/松平大弐灰塚
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禁門の変の前夜、在京の加賀藩世嗣前田慶寧は、
家臣らを集めて今後の方針を議論しました。
激論の末に3つの意見に別れ、
1つ目は、尊攘派による長州藩同調論。
2つ目は、佐幕派による長州藩排除論。
3つ目は、中立を保って自立割拠論。
最終的には「御周旋は充分行届あれば、
自今御守衛を専一するを可とせり」
という年寄奥村栄通の意見が採用されて、
翌朝未明に慶寧は宮中警護… 続きを読む
有備館は岩出山伊達家が創設した郷校で、
開校は嘉永3年頃と考えられており、
岩出山要害北の隠居所に開設されました。
この有備館に書院造りの御改所が現存し、
日本最古の学問所建築物として、
国の史跡および名勝に指定されています。
「旧有備館および庭園… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
「松平親懐之墓」。
松平舎人家6代当主松平権十郎親懐の墓。
江戸で新徴組の御用掛を務め、
藩兵や新徴組を率いて江戸市中を取り締り、
丁卯の大獄では藩内改革派の捕縛。
不貞浪士を匿う… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である松平甚三郎家もそのひとつ。
「英真院殿忠譽傑山久厚大居士」。
松平甚三郎家13代松平甚三郎久厚の墓。
秋田戦争では一番大隊の大隊長を務め、
二番大隊の… 続きを読む
庄内藩酒井家の墓所である大督寺には、
一門以下重臣達の墓もあります。
両敬家である酒井吉之丞家もそのひとつ。
「故荘内太夫酒井了恒君塋髪」。
鬼玄蕃と恐れられた酒井玄蕃了恒の遺髪墓。
慶応3年に酒井吉之丞家の11代となり、
戊辰戦争で… 続きを読む
大野市に2度目の訪問。
前回訪問時はあいにくの雨でしたが、
今回は青天に恵まれました。
再度大野市を訪れた理由は、
幕末大野藩を支えた内山兄弟の墓所及び、
藩主家墓所と大野城への再訪が目的です。
大野藩は7代藩主土井利忠の下で、
大規模な… 続きを読む
龍泉寺は附家老越前府中本多家の菩提寺。
応安元年(1368)に守護藤原義晴が創建し、
開山の通幻禅師の遺命により、
各地に散った弟子達が輪番制で住職を務め、
これが江戸時代中期まで続きます。
※この輪番制で福井を訪れた住職らは、
大本山である永平寺も参拝しますが、… 続きを読む