山形藩筆頭家老水野三郎右衛門元宣は、
藩主不在の山形藩をまとめ、
山形藩を奥羽越列藩同盟に加盟させました。
秋田戦争で新政府軍と戦い、
敗戦後は自ら首謀者としてその責を背負い、
新政府軍によって処刑されました。
列藩同盟への参加、新政府軍への降伏、
そして自ら責任を負って処刑された事など、
三郎右衛門による適切な判断の結果、
山形城下は結果的に戦火を免れています。
これは三郎右衛門の功績であると、
郷土の恩人… 続きを読む
「家老家」タグアーカイブ
山形県天童市 吉田大八関連史跡
吉田大八守隆は江戸家老吉田守寛の長男で、
15歳で家督を継ぎ、大目付、武具奉行、
藩校養正館督学等の要職を経て中老に昇格。
天童藩は慢性的財政難に苦しんでおり、
藩士は貧窮にあえいでいたという。
大八は救済策として将棋駒の製作を提案。… 続きを読む
新潟県長岡市 長興寺/長岡藩家老家墓所
山本帯刀家は長岡藩世襲家老5家のひとつ。
筆頭家老家稲垣平助家に次ぐ家格を誇り、
軍師山本勘助の弟山本帯刀左衛門が、
その祖先であると伝えられています。
幕末の当主である山本帯刀義路は、
門閥ながら河井継之助の慶応改革… 続きを読む
新潟県長岡市 河井継之助邸跡
長岡藩には河井家が3家あり、
河井継之助の出自には諸説ありますが、
牧野家の長岡移封の際に仕官したという。
その河井家の3家は、
河井清左衛門を祖とする50石の本家と、
その弟忠右衛門を祖とする分家120石、
忠左衛門の次男代右衛門の分家120石で、
継之助は代右衛門を祖とする分家でした。
※分家2家は諸役を務めて加増。
「河井継之助記念館… 続きを読む
佐賀県武雄市 武雄鍋島家別邸跡
9代武雄鍋島家当主鍋島茂義は、
嘉永4年に隠居屋敷を造設しており、
そこに造園された庭園が残されています。
「鍋島藩武雄領主の庭園」。
明治元年に本拠の武雄陣屋が火災で焼失。
※武雄陣屋跡は現在の武雄高等学校の敷地。
10代鍋島茂昌… 続きを読む
佐賀県武雄市 円応寺/武雄鍋島家西墓所
古くからの武雄領主であった後藤家は、
龍造寺隆信の勢力拡大により、
その支配下となっていました。
後に隆信が沖田畷の戦いで討ち取られ、
次代龍造寺政家より竜造寺姓を賜りますが、
竜造寺家は鍋島直茂が実権を掌握。
鍋島家と龍造寺一門との融和政策が行われ、
武雄竜造寺家も鍋島姓を賜り、
以後は… 続きを読む
山口県萩市 笠松神社
長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。
益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変… 続きを読む