家老家」タグアーカイブ

宮城県白石市 白石城

一国一城令大坂夏の陣の後、
慶長20年閏6月13日に制定され、
諸大名に居城以外の城の破却を命じたもの。
各大名は領地の要所に支城を建設し、
敵の侵攻を防ぐ要塞としていましたが、
これにより諸大名の軍事力は下がります。

この一国一城令の[一国]の意味は曖昧で、
一国が令制国なのか、大名の領地なのか、
場合によって解釈が異なっていました。… 続きを読む

宮崎県宮崎市 島津家久及び島津豊久墓所

佐土原城の南西にある天昌寺跡へ。
島津家久及び島津豊久の墓所を訪問。
佐土原領は家久、豊久の領地だった地で、
天昌寺はその菩提寺でしたが、
廃寺となって墓所のみが残されています。


梅天長策公大禅伯(家久:左)」、
天岑昌運大居士(豊久:左中)」、
蘭香永春大姉続きを読む

小早川家の復興

毛利元就の両川吉川元春小早川隆景
嫡男毛利隆元を補佐し、
中国制覇に大きく貢献しており、
一般的に三本の矢の教えで知られるように、
隆元とその次代毛利輝元を盛り立てました。

吉川元春は戦上手として知られ、
その戦跡は76戦64勝。… 続きを読む

山口県周南市 宍戸家郷校徳修館

山陽自動車道熊毛ICの入口付近に、
宍戸家の郷校徳修館があります。


熊毛IC周辺(徳修館の場所)


徳修館」。
21代当主宍戸就年が創立した郷校。
23代宍戸元礼明倫館を模し、
聖廟続きを読む

山口県周南市 貞昌寺/宍戸家墓所

長州藩の筆頭家老家である宍戸家は、
毛利元就の中国制覇に貢献し、
吉川家小早川家両川に次ぐ待遇を受け、
毛利家減封後は代々筆頭家老を努めています。

吉川家は関ヶ原の戦いでの確執から、
藩内での発言力を失っており、
小早川家は豊臣政権下で独立していた為、
※小早川家は後に断絶。続きを読む

三重県桑名市 顕本寺/桑名藩士らの墓

顕本寺には幕末桑名藩士の墓が多く、
リサーチ不足で網羅は出来ませんが、
一部の幕末藩士の墓を紹介します。


西郷朝秋之墓」。
元桑名藩士西郷朝秋の墓。
西南戦争で私学校攻撃に参加しますが、
負傷して離脱。戦病死しています。


道源院無外日信居士」。
神風隊玉井五郎兵衛続きを読む