長州征伐で幕軍の総督府が置かれた国泰寺。
長州藩の三家老の首実験が行われ、
政事戦の舞台となった場所でした。
残念ながら原爆によって焼失してしまい、
国泰寺は市街の北西に位置する己斐に移転。
現在の跡地は開発が進んで面影はありません。… 続きを読む
長州征伐で幕軍の総督府が置かれた国泰寺。
長州藩の三家老の首実験が行われ、
政事戦の舞台となった場所でした。
残念ながら原爆によって焼失してしまい、
国泰寺は市街の北西に位置する己斐に移転。
現在の跡地は開発が進んで面影はありません。… 続きを読む
戊辰戦争の岩国領戦死者22名を祀る為、
領主吉川経幹が関所山招魂場を建立。
これが岩国護国神社となっています。
後に脱退騒動鎮圧の戦死者5名も合祀。
招魂場の運営は岩国藩が行っていましたが、
廃藩置県によって吉川家の庇護から離れ、… 続きを読む
錦帯橋は岩国の錦川に架かる有名な橋で、
世界的にも珍しい木造アーチ構造の橋。
吉川家が岩国の領主となってから、
錦川には何度も橋が架けられましたが、
洪水で何度も橋は流れていた為、
3代領主吉川広嘉がこれを憂い、
洪水に耐えられる橋の建設を計画。
明の帰化僧独立性易から杭州西湖の橋が、
橋脚を石垣にしているという情報から、
家臣の児玉九郎右衛門に設計させ、… 続きを読む