①/②/③
福昌寺は島津奥州家2代当主島津元久が
総持寺20世であった石屋真梁を招き、
自らの菩提寺として建立した寺院でした。
後に島津宗家の菩提寺となった為、
歴代の墓が建てられるようになりましたが、
維新後の… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津宗家墓所①
コメントを残す
今和泉島津家は薩摩島津家の支流で、
宗家4代島津忠宗の次男島津忠氏が、
和泉(出水)郷を与えられ、
和泉島津家を称したのに始まります。
しかし5代当主島津直久が戦死した為、
327年の間当主が不在となりますが、
これを江戸時代になって復活させて、… 続きを読む
青山霊園にある福羽美静の墓。
「正二位勲一等子爵福羽美静之墓」。
津和野藩出身の国学者福羽美静の墓。
津和野藩士福羽美質の長男として生まれ、
藩校養老館で漢学や山鹿流兵学… 続きを読む
廃仏毀釈という仏教を廃する運動は、
明治政府が推進したものではありませんが、
全国的に破壊された寺院は数多い。
僕の地元である下関でも、
安徳天皇の墳墓のある阿弥陀寺が廃され、
赤間神宮となっています。
実際に腐敗していた寺院もあれば、
民衆から慕われた寺院が、
破壊された例もあるでしょう。
日本人の中にたまにいる、
「お祭り騒ぎでやり過ぎる人達… 続きを読む
岡熊臣旧宅にほど近い民家の庭先に、
福羽美静の誕生地あります。
「正二位勲一等子爵
福羽美静先生誕生之地」。
民家の庭先なので地図は載せませんが、
googleMAPでも検索できます。
農作業をされている方に場所を伺うと、
あそこだよと親切に教えていただきました。
父福羽美質が代官となった山下村で生まれ、
幼少時に軽業師… 続きを読む
慶応元年。長州内訌戦に勝利した奇兵隊は、
来たるべき幕府との戦いに備えて、
下関への転陣命令が出されます。
当初、長府に転陣する予定でしたが、
「差し支える事」があり、
吉田郷に転陣する事となりました。
この「差し支える事」とは、
「馬関開港論」によって、
長州藩と長府藩との間に溝ができた時期で、
長府に駐屯できる状態ではなかったという。
後に開港論はうやむやになり、… 続きを読む