13代将軍徳川家定は病弱で実子も望めず、
次期将軍の継嗣確定が急務となり、
黒船来航の混乱に対処できる将軍として、
一橋家の徳川慶喜を擁立する一橋派と、
紀州藩13代徳川慶福… 続きを読む
「紀州藩」タグアーカイブ
和歌山県海南市 長保寺/紀州徳川家墓所②
和歌山県海南市 長保寺/紀州徳川家墓所①
和歌山県和歌山市 雑賀崎台場跡
紀州藩は安政元年より台場整備を計画。
多くの台場の築造が計画されています。
雑賀崎台場跡はそのひとつだった場所で、
トンガの鼻という岬の先端にありました。
雑賀崎周辺(雑賀崎台場跡の場所)
北側が埋め立てられて岬には見えませんが、
地図をみると岬であった事が伺えます。
南側の岬は番所ノ鼻と呼ばれる岬。
台場跡へは北側の埠頭からは行けず、
県道15号線沿いの旅館廃墟の横より、
北側に歩いて行く事ができます。
「… 続きを読む
和歌山県和歌山市 紀三井寺
紀三井寺は奈良期の唐僧為光上人開基の寺。
為光は伝教の為に唐より到来し、
諸国を巡って仏法を広めていましたが、
行脚の途中でこの名草山の地に至ります。
そして山頂に霊光を感じて登山すると、
そこで千手観音を感得したという。
為光は自ら十一面観世音菩薩像を彫り、
一宇を建立して安置しました。
それが紀三井寺の起こりとされています。
以後は歴代天皇の御幸を得て、
後白河法皇… 続きを読む