村田銃の開発者村田経芳の墓。
薩摩藩随一の射撃の名手でもありました。
「従二位勲一等男爵村田經房
室 久新子墓」。
陸軍少将村田経芳夫妻の墓。
薩摩藩士村田経徳の長男として生まれ、
西洋式砲術を学んで射撃技術を磨き、
外城一番隊長として戊辰戦争に従軍。… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/村田経芳墓所
コメントを残す
村田銃の開発者村田経芳の墓。
薩摩藩随一の射撃の名手でもありました。
「従二位勲一等男爵村田經房
室 久新子墓」。
陸軍少将村田経芳夫妻の墓。
薩摩藩士村田経徳の長男として生まれ、
西洋式砲術を学んで射撃技術を磨き、
外城一番隊長として戊辰戦争に従軍。… 続きを読む
大村三十七士の一人楠本正隆の墓。
「楠本正隆之墓(左)」、
「楠本家之墓(右)」。
大村藩出身の政治家楠本正隆の墓と、
楠本家(長男楠本正敏家族)の墓。
大村藩楠本直右衛門正式の長男で、
渡邊昇らと共に… 続きを読む
園部藩10代藩主小出英尚の墓。
「従三位小出英尚之墓」。
園部藩10代藩主小出英尚の墓。
9代小出英教の長男として生まれ、
父の死去に伴いより家督を相続。
早くから新政府に恭順しており、
京都が戦火に巻き込まれた際には、
天皇を園部城に避難させる計画があり、… 続きを読む
蘭医佐藤尚中の墓所。
尚中は佐藤泰然の養子となり、
その後継者となった近代医学の中心人物。
「従五位佐藤尚中之墓」。
小見川藩藩医山口甫僊の次男に生まれ、
四谷の蘭医安藤文沢に蘭医学を学び、
後に和田塾に入門して… 続きを読む
福山藩10代藩主阿部正桓の墓所。
歴代藩主の墓は寛永寺谷中墓地ですが、
正桓以降は谷中霊園側にあります。
「阿部家墓所」。
玉垣付の墓域入口には鳥居が建てられ、
その正面に正桓の墓があります。
「従二位勲四等伯爵阿部正桓墓… 続きを読む
坂下門外の変を計画した大橋訥庵の墓所。
訥庵は兵学者清水赤城の四男でしたが、
佐藤一斎を師事して儒学を学び、
日本橋佐野屋の大橋淡雅の婿養子となり、
思誠塾を開いて儒学を指導しました。
「大橋家墓所… 続きを読む
出羽松山藩8代藩主酒井忠匡の墓所。
「正三位子爵酒井忠匡之墓」。
出羽松山藩8代酒井忠匡の墓。
7代藩主酒井忠良の三男で、
藩は宗家の庄内藩と共に戦い、
新政府軍に降伏しており、
父はこの責で強制隠居となります。
この為に僅か12歳で家督を相続。… 続きを読む