総禅寺は豊州島津家の菩提寺だった寺で、
文明年間(1469-1486)に島津季久が創建。
廃仏毀釈で廃寺となっていますが、
その墓地のみが残されています。
「招魂塔」。
明治12年に建立された招魂碑で、
西南戦争の帖佐出身戦死者のもの。
総禅寺墓地の入口に聳えており、… 続きを読む
鹿児島県姶良市 総禅寺跡
コメントを残す
総禅寺は豊州島津家の菩提寺だった寺で、
文明年間(1469-1486)に島津季久が創建。
廃仏毀釈で廃寺となっていますが、
その墓地のみが残されています。
「招魂塔」。
明治12年に建立された招魂碑で、
西南戦争の帖佐出身戦死者のもの。
総禅寺墓地の入口に聳えており、… 続きを読む
加治木は加治木島津家の私領で、
中世期の正八幡宮(鹿児島神宮)領であり、
一時豊臣秀吉の蔵入地にもなった場所。
また島津義弘の隠居地になっており、
その終焉の地にもなりました。
後に義弘の孫島津忠朗… 続きを読む
霧島神宮は高千穂峰西南麓にある神社で、
高天原から天降った瓊瓊杵尊を祀ります。
元々は火口に近い瀬多尾に鎮座しており、
噴火の被害で度々社殿を消失。
後に瀬多尾越へ遷座していますが、
ここでも噴火の被害を受けて消失した為、
待世の地に仮宮が建立されました。… 続きを読む
鹿児島神宮は大隅国一宮。
他県の人間からすると鹿児島市に遠く、
更に薩摩国ではなく大隅国内にあるのに、
何故鹿児島神宮??と思ってしまいますが、
これは江戸期に[鹿兒嶋]という意味は、
天降川から西側という意味であった為。… 続きを読む
国分は大隅国府が置かれた地で、
軍事や交通でも要所であった為、
幾度も豪族が争った場所でした。
慶長9年(1604)には隠居した島津義久が、
舞鶴城を築城して富隈城から移住。
京都を参考に… 続きを読む
慶長9年(1604)に隠居した島津義久は、
祈願所として龍護院金剛寺を建立。
寺名は義久の号である龍伯に因み、
大乗院の末寺に属していたという。
「龍護院金剛寺跡」。
廃仏毀釈によって廃寺となっていますが、
跡地には島津義久の三重石塔の他に、
多くの… 続きを読む
島津宗家16代当主島津義久は隠居後、
国分に舞鶴城を築いて移り住み、
7年後の慶長11年(1611)に死去しました。
その遺骨は宗家菩提寺である福昌寺の他に、
国分の龍護院金剛寺と徳持庵に分骨。
福昌寺と金剛寺では墓が建てられましたが、… 続きを読む