安政6年に横浜が開港されると、
各国の領事館が設けられるわけですが、
元々横浜は東海道から外れており、
基本的には交通に不便な場所でしたので、
諸外国は東海道沿の神奈川宿に、
領事館を設けることを幕府に求めました。
領事館には神奈川宿の各寺院が充てられ、
後に横浜が急速に発展するまで、
各国は領事館を神奈川宿周辺に置いていました。
今回、仕事で… 続きを読む
安政6年に横浜が開港されると、
各国の領事館が設けられるわけですが、
元々横浜は東海道から外れており、
基本的には交通に不便な場所でしたので、
諸外国は東海道沿の神奈川宿に、
領事館を設けることを幕府に求めました。
領事館には神奈川宿の各寺院が充てられ、
後に横浜が急速に発展するまで、
各国は領事館を神奈川宿周辺に置いていました。
今回、仕事で… 続きを読む
①/②
嘉永3年10月。
摂津の廻船「栄力丸」は荷物を江戸に届け、
帰路に浦賀で大豆、小麦、胡桃、鰯粕等を買い入れ、
志摩の大王崎まで進みます。
夜半より雨風が激しくなり、船は西の方角に流されました。
船員達は帆柱を捨て、髪を切って神仏に祈るしかありません。
船は嵐が去った後に東南方向に進みます。
帆柱の無い船は漂流するより仕方ありませんでしたが、
幸いにも積み込んだ積荷のおかげで食料はありました。
栄力丸は約50日もの間漂流を続けます。
漂流を続けていると、異国船らしき船が見えたので、
船員達は必死に叫んで助けをもとめました。
やがて異国船からボートが降ろされ、
漂流から53日目に船員17人全員が救助されました。… 続きを読む