丸亀藩」タグアーカイブ

長州赤間関 菊屋平七

丸亀にある金刀比羅宮の一の鳥居「中府の大鳥居」は、
全国の富豪らによって明治4年に寄進されたものですが、
その中に「長州赤間関 菊屋平七」が名を連ねています。

この菊屋平七とはどういう人物か?
富豪とはいえ商人に関する資料は少なく、
判った範囲はそれ程多くありませんが、
赤間関菊屋は… 続きを読む

香川県丸亀市 丸亀城①

①/

丸亀城亀山という丘陵に建てられた平山城で、
総高日本一という4重の石垣を要しています。
※4重合わせて60m。
単体での日本一は大坂城の33m。
天守は全国12棟しかない現存天守
他の現存建屋も多く残されており、
城好きがいつかは訪れたい城のひとつです。


「… 続きを読む

香川県丸亀市 玄要寺(丸亀藩 多度津藩 京極家墓所)


玄要寺丸亀藩京極家の菩提寺で、
京極家の領地移転に伴って同じく移転し、
初代藩主京極高和龍野から丸亀に転封されると、
同じく龍野より移転して現在地に建立されました。

ただ、京極宗家の墓所は滋賀の徳源院のままで、
歴代藩主の墓は所領が変わっても徳源院に建てられ、
玄要寺にあるのは幕末期の藩主京極高朗の墓のみ。
また支藩の多度津藩京極家続きを読む

香川県仲多度郡多度津町 多度津陣屋跡

丸亀藩2代京極高豊正室との間に、
男児3人を設けますが相次いで早逝します。
その後側室との間に男児が生まれていますが、
翌年に再び正室との間に待望の男児が誕生。
継嗣には正室の子京極高或が選ばれますが、
高豊は側室の子京極高通の為に、
別家を新設を幕府に申請しました。

高豊は2年後に病没し高或が跡をつぎますが、
高通続きを読む