慶応2年6月に起こった大島戦争において、
一時幕府軍は周防大島を占領しますが、
丙寅丸の奇襲や上陸作戦での勝利により、
幕府軍は撤退して周防大島は奪還されます。
長州勢は敗残の松山藩兵を捕らえますが、
そのうち士分14名が斬首に処され、
その首が晒し首… 続きを読む
「伊予松山藩」タグアーカイブ
コメントを残す
(ドラマ)坂の上の雲
[坂の上の雲]は10年以上前のドラマですが、
最近再放送されたので録画して視聴しました。
明治中期が舞台の作品ではありますが、
一応幕末期の人物も出てきますし、
前々から観たいなと思っていたドラマです。
[坂の上の雲]は司馬遼太郎著の小説で、
秋山好古、真之兄弟と正岡子規を主人公に、
彼らの人生と… 続きを読む
愛媛県松山市 圓満寺/奥平貞臣墓所
圓満寺は道後温泉にある曹洞宗の寺院。
詳しい由緒はわかりませんが、
弘仁3年(812)建立とのこと。
「圓満寺」。
本尊は阿弥陀如来像。
小さなお寺ですが温泉街にあるせいか、
参拝客も意外に多いようです。
「湯の地蔵尊」。
本堂手前の… 続きを読む
愛媛県松山市 常信寺/松山藩松平家墓所
常信寺は愛媛県松山市にある天台宗の寺院。
持統天皇4年(690)創建の法相宗の寺が、
大同年間(806-809)に真言宗に改宗して、
後に天台宗に再度改宗したという。
※寺号はその度に変わっています。
伊予松山藩初代藩主松平定行が入封すると、
松山城… 続きを読む
三重県桑名市 照源寺/久松松平家墓所
徳川家康の異父弟松平定勝の死後、
2代将軍徳川秀忠の命によって、
定勝の次男松平定行が崇源寺を建立し、
※寺名の由来は定勝の法号崇源院殿による。
定勝の遺骸を埋葬して菩提寺とします。
後に定行は4万石加増で伊予松山藩へ移り、
桑名藩には定行の弟… 続きを読む
愛媛県松山市 道後温泉
伊予松山城より1.5km西にある道後温泉。
日本三大古湯のひとつとされ、
万葉集にもその記載が見られます。
聖徳太子も道後温泉に浸かったとされ、
天智天皇や天武天皇など歴代天皇も行幸。
中世には河野通盛が湯築城を築城し、… 続きを読む