山本帯刀家は長岡藩世襲家老5家のひとつ。
筆頭家老家稲垣平助家に次ぐ家格を誇り、
軍師山本勘助の弟山本帯刀左衛門が、
その祖先であると伝えられています。
幕末の当主である山本帯刀義路は、
門閥ながら河井継之助の慶応改革… 続きを読む
新潟県長岡市 長興寺/長岡藩家老家墓所
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山本帯刀家は長岡藩世襲家老5家のひとつ。
筆頭家老家稲垣平助家に次ぐ家格を誇り、
軍師山本勘助の弟山本帯刀左衛門が、
その祖先であると伝えられています。
幕末の当主である山本帯刀義路は、
門閥ながら河井継之助の慶応改革… 続きを読む
長岡藩には河井家が3家あり、
河井継之助の出自には諸説ありますが、
牧野家の長岡移封の際に仕官したという。
その河井家の3家は、
河井清左衛門を祖とする50石の本家と、
その弟忠右衛門を祖とする分家120石、
忠左衛門の次男代右衛門の分家120石で、
継之助は代右衛門を祖とする分家でした。
※分家2家は諸役を務めて加増。
「河井継之助記念館… 続きを読む
長岡藩は7万4000石の中藩でしたが、
北越戦争の主役として新政府軍を散々に苦しめ、
その名を轟かせています。
藩庁の長岡城は2度の陥落で建屋の殆どが焼失し、
僅かに残った建屋も売却されました。
跡地の本丸跡には長岡駅が建てられ、
曲輪や堀も全て埋め立てられて市街地に没し、
遺構は全く残っていません。
「JR長岡駅… 続きを読む
椎谷藩は堀直政の四男堀直之を藩祖とし、
次代の堀直景が1万石に加増され、
諸候に列した事に始まります。
直景は苅谷に陣屋を置いて苅谷藩を立藩。
後に子の堀直良が八幡に藩庁を移した後、
更に次代堀直宥が越後国刈羽郡に転封され、
椎谷に陣屋を置いて椎谷藩となりました。… 続きを読む
上越といえば真っ先に浮かぶのは、
やはり上杉謙信の春日山城。
実は20年以上も前に、
一度上越市に来た事があるのですが、
上越市に高田城という城があった事を、
全く知りませんでした。
※当時はそれほど歴史に興味が無かった為。
上杉謙信については子供の頃から好きな武将で、
謙信のお膝元に来たと喜んだ記憶がありますが、
もちろんその当時は仕事で来たので、
何処にも観光していませんし、
春日山城跡にも行っていません。
そんな薄い思い出の上越市ですが、… 続きを読む