①/②
第二次長州征伐で幕府は長州藩への攻撃を決定。
芸州口、大島口、小倉口、石州口の四ヶ所から、
長州藩領へ侵攻する事とします。
これに対する長州藩側の戦略として、
他の戦線は防戦… 続きを読む
長州藩邸東側の高瀬川の西岸に、
佐久間象山と大村益次郎の遭難地があります。
彼ら2人には直接の接点が無いのですが、
何の因果か時を経て二人はこの付近で襲撃され、
非凡な才能を散らすことになりました。
木屋町通りより見る高瀬川向いの2つの碑。
佐久間象山は元治元年7月11日、
木屋町通りの路上で。
大村益次郎は明治2年9月4日、
この向いの長州藩控屋敷で襲撃されました。
「… 続きを読む
鋳銭司の大村益次郎墓所を訪れたのは6年前。
近くまで来たので久々に行ってみました。
明治2年9月3日。
大村益次郎は京都三条木屋町の旅館で、
長州藩大隊指令静間彦太郎や、
加賀藩藩士安達幸之助らと会食。
夕刻に男が訪ねて来て面会を申し込み、
取り次ぎに萩原秋蔵… 続きを読む
国道九四フェリーで大分佐賀関から、
四国の佐田半島の三崎港に到着。
国道197から378を通って松山へ。
その途中の保内町磯崎に二宮敬作記念公園… 続きを読む