黒石藩」タグアーカイブ

青森県黒石市 保福寺跡(黒石藩津軽家墓所)

黒石藩津軽家の墓所は、保福寺跡
跡ということは寺はここには無いということですが、
廃寺になったということではなく、
平成3年に火災によって焼失してしまった為、
市街から東に行った牡丹平へ移転しています。


保福寺山門」。
焼失してしまった元の保福寺の跡は、
墓地等が残されている以外は更地となっており、
更地なだけにその寺域が広大な事がわかります。


津軽家墓所続きを読む

青森県上北郡野辺地町 野辺地戦争関連史跡

盛岡藩領内に侵攻した弘前藩黒石藩兵は、
馬門村に進入すると次々に放火を開始。
民家64戸と遍照寺が焼失してしまいます。
この馬門にあった番所も焼失し、
虚を突かれた役人及び守備兵は、野辺地へ逃走しました。


馬門御番所跡」。… 続きを読む

青森県上北郡野辺地町 藩境塚

南部家鎌倉時代から続く名門で、戦国時代の最盛期には、
現在の岩手県中部・北部と青森県全域を掌握していました。

しかしその一族である大浦為信は、反旗を翻して独立を図り、
中央の豊臣政権に対する工作が功を奏し、
津軽氏を名乗って独立大名として認められています。
関ヶ原の戦い後は、双方とも所領を安堵され、
盛岡藩弘前藩として江戸時代を通じて存在するわけですが、
そういう経緯もあって両藩は… 続きを読む

青森県黒石市 黒石陣屋跡

黒石藩弘前藩の支藩で、
交代寄合4000石の黒石津軽家が、
弘前藩より6000石を分地されて、
諸侯に列したことに始まります。

交代寄合4000石の頃から財政は裕福で、
実収1万石を超えていたという。
また、ねぶたなどの祭りを奨励して、
周辺より人を呼び寄せるなど、
商業政策で城下町が発展していたようです。

黒石津軽家6代当主津軽寧親は、… 続きを読む