広島県福山市 鞆の浦

鞆の浦は古くから潮待ちの港として栄え、
一説では弥生時代から集落があったとされ、
万葉集にもその名が散見しています。
瀬戸内海の中央付近という立地から、
交通の要所としてだけではなく、
軍事的にも重要な場所であったようで、
足利尊氏はここで新田義貞追討の院宣を賜り、
後に室町幕府を開きました。
戦国時代には安芸毛利家により、
備後国の拠点のひとつとして要塞化。
元亀4年(1573)には15代将軍足利義昭が、
織田信長に追われて鞆に拠点を移し、
一時[鞆幕府]とまで称されています。
江戸時代は福山藩の領地となっており、
藩の海の玄関口ともなった他、
朝鮮通信使の寄航地にも指定されました。


鞆町鞆周辺。


とうろどう(常夜燈)」。
鞆の浦のシンボルである常夜燈で、
安政6年に建立されたもの。
なんでも現存する常夜燈では、
日本一の高さを誇るという。
坂本龍馬をはじめ幕末の志士らも、
この常夜燈の雄姿を見ている筈です。


いろは丸展示館」。
とうろとう近くにある大蔵で、
現在はいろは丸展示館となっており、
いろは丸沈没事件関連の展示がされています。


太田家住宅」。
保命酒の蔵元中村家の旧住宅で、
明治期に太田家の所有になった屋敷。
七卿落ち七卿は鞆の浦に滞在し、
この旧中村家に宿泊しています。
長州滞在を経て太宰府で過ごした彼らは、
京都への帰還途中にも鞆の浦へ寄港。
※この時は七卿ではなく五卿
その際もこの旧中村家に滞在しました。


鞆の浦は狭いながら風情ある町並み。
重要伝統的建造物群保存地区となっています。


円福寺」。
鞆の浦の東側の岬の山上にある寺院。
元々岬は大可島という島だったようですが、
現在は陸続きとなっています。
南北朝時代には大可島城が築かれており、
幾度も戦場となっていた場所。
慶長6年(1601)に領主となった福島正則により、
鞆城の築城が開始されたようで、
その際に埋め立てられて陸続きとなりました。
しかしこの鞆城は徳川家康の勘気により、
完成することなく廃城。
その跡地に円福寺が建立されています。
円福寺は朝鮮通信使の宿所となった他、
いろは丸沈没事件での交渉の際、
紀州藩側の宿泊所となりました。


福禅寺」。
円福寺の北側の台地にある寺院。
こちらも朝鮮通信使の宿所となっており、
その客殿である対潮楼は、
[日東第一形勝]と賞賛された場所。


対潮楼から望む仙酔島弁天島
鞆の浦のシンボル的存在の無人島。
仙酔島の名前は文字通り、
[仙人が酔ってしまうほど美しい島]
という意味らしい。


平成いろは丸」。
いろは丸を模したもので仙酔島への定期船。
クオリティはどうあれこういうのは大事です。

港町

この記事は鞆の浦の記事を再編集したもの。

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