天神の安國寺にある母里家の墓所。
名槍「日本号」を呑み獲った母里太兵衛友信は、
黒田節でも唄われる黒田家の家臣で、
黒田家の戦いでは常に先鋒として活躍し、
生涯に挙げた首級は76だったとされています。
更に太兵衛は酒豪としても知られており、
福島正則の許へ使者として赴いた際、
正則に酒を勧められますが、
太兵衛は使者という役目の手前これを固辞。
しかし本人も酒豪だった正則は太兵衛に対し、
大盃を飲み干せば好きな褒美を与えると、
しつこく何度も酒を進めます。
ついには黒田武士は酒に弱いと罵った為、
太兵衛は受けて立って大盃を飲み干し、
正則の持つ名槍「日本号」を所望。
これは豊臣秀吉から拝領された名槍でしたが、
正則は「武士に二言はない」と太兵衛に与え、
太兵衛は天下の名槍を「呑み獲り」ます。
後に太兵衛は1万8000石を与えられ、
福岡藩の上席家老となっていましたが、
その嫡男吉太夫は船の沈没事故で溺死。
次男左近と三男市郎兵衛は、
2代藩主黒田忠之の勘気で改易され、
左近の五男毛利生敬が微禄で続きました。
「母里家累代之墓」。
安國寺本堂の横にある母里家累代の墓。
母里家は毛利家と名乗っていたらしく、
維新後になって母里姓に改めたようです。
これは太兵衛が江戸城普請を担当した際、
徳川家康からの書状が母里ではなく、
毛利と誤って記されていた為、
それ以降毛利但馬守と名乗りました。
この墓碑は子孫によって建てられたもので、
母里(毛利)家の江戸期の累代墓。
以降の母里家の墓は別にあるようで、
子孫も連綿と続いているようです。
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