つづき。
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2月19日。
五ッ半時頃、当番明けに長徳院に稽古見物。
夜に入場の御達しがあったので、
湊氏に宇治行きを断る。
前田舎人殿宅に参りそばを馳走になる。
※宇治観光を約束していたようですが、
急の仕事でキャンセル。
タダでは起きない伊庭は、
そばを御馳走になっています。
2月20日。
御城において剣術方50人で御上覧試合。
自分は1度目大内志津摩、
2度目澤隼之助と試合。
下緒、小菊の紙扇子を拝領。
昼九ッ時に帰宅。
父上は夜番に出勤。
※御上覧試合!賞品を貰ってるようなので、
勝ったのでしょうね。
2月21日。
朝、稽古に行き、
昼後三橋雙三郎殿方へ参り、
夕方に忠内氏が鯛を持って来たので、
夕飯を御馳走した。
2月23日。
湊氏とその他の奥詰10人程と宇治に行く。
宇治の辺りの菊屋で昼食をとる。
平等院、宇治橋の景色が素晴らしく、
頼政の甲冑や本多氏の槍などの古物を見物。
茶を600文で買い、黄檗山を見物。
※宇治観光は断ったのではなく、
日付の変更だったようです。
頼政の甲冑は平等院の源頼政の甲冑と、
兜でしょうけれど本多氏の槍とは?
まさか忠勝の蜻蛉切?
宇治なんで御土産は宇治茶ですね。
2月24日。
御城での初稽古に出席。
筒井氏は体調が悪くて不参加。
九ッ時過ぎより試合を開始し、
七ッ時に終わる。
帰宅して忠内氏の宅に風呂を借り、
御馳走にもなった。
夜五ッ時に帰宅。
2月25日。
早稽古に行き、その後は終日宿に居た。
父上は戸田氏、今堀氏、三橋氏と、
祇園辺りへおいでになり、
瀬戸物類をお求めになった。
2月26日。
今日は当番につき、早朝出席。
三郎や筒井氏は夕方帰宅。
※三郎は伊庭の弟のようです。
2月27日。
早朝帰宅。その後稽古に出席。
徳田貢殿が来る。
戸田祐之助殿が不始末を致し、
大野儉次郎殿来る。
※戸田は泥酔して新選組の屯所に行き、
暴言を吐いて隊士に捕まってしまい、
町奉行所に突き出されています。
2月28日。
湊氏ら奥詰7~8人と愛宕山に参拝。
朝五ッ時頃宿を出て仁和寺、
嵯峨野釈迦如来に参拝後、
愛宕山に登り清瀧にて弁当を食べ、
登る途中で雨が降り出す。
天気が良い時は丹波亀山など、
10国が見渡せるらしい。
愛宕神社は最も美を尽くした場所で、
奥院、地蔵菩薩、将軍之宮も参拝。
仙台藩片倉小十郎が奉納した額は広大。
山頂で小休止した後で下山。
清瀧までは傘を借り、
途中は難渋しながら七ッ時に戻る。
天子の陵に参拝。
廣澤の池の景観は良かった。
夕七ッ半時頃に帰宅し、
三橋氏宅で風呂を借りる。
夜に入り戸田祐之助殿の件で、
父上が所々に出向き、
戸田氏は町奉行瀧川に御呼出しとなって、
吟味された。
※片倉小十郎は仙台藩の家老。
天子の陵とは清和天皇の水尾山陵。
2月29日。
朝、稽古に出席。
勝氏が烏帽子を持って来たが、
戸田氏の件で差控えとなったので遠慮。
※戸田の不始末に連座して、
伊庭は差控え処分となっています。
3月1日。
今日は当番であったが、
差控えの件を忠内氏に御断りして終日在宅。
夕方に浅井氏が帰宅。
つづく。
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