重富宿は薩摩街道高岡筋の宿場。
鹿児島城下に向かう最後の宿場で、
難所である白銀坂の手前にあります。
鹿児島へ行く者は英気を養い、
白銀阪を下って来た者は疲れを癒し、
旅人で賑わいを魅せた場所でした。
姶良市脇元周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが重富宿跡。
「重富宿跡」。
現在の重富宿跡は住宅地となっており、
その面影は感じられませんが、
唯一… 続きを読む
鹿児島県姶良市 重富宿跡
コメントを残す
重富宿は薩摩街道高岡筋の宿場。
鹿児島城下に向かう最後の宿場で、
難所である白銀坂の手前にあります。
鹿児島へ行く者は英気を養い、
白銀阪を下って来た者は疲れを癒し、
旅人で賑わいを魅せた場所でした。
姶良市脇元周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが重富宿跡。
「重富宿跡」。
現在の重富宿跡は住宅地となっており、
その面影は感じられませんが、
唯一… 続きを読む
蒲生麓は薩摩藩直轄の外城で、
鹿児島城下から五里半の位置にありました。
別府川と蒲生川の間に麓集落が形成され、
現在も景観をよく残しています。
江戸中期に形成された比較的新しい麓で、
それ故に機能的な町割りとなっている模様。
「蒲生地頭仮屋跡」。
蒲生地頭仮屋跡は… 続きを読む
帖佐は島津義弘の居館があった地で、
豊臣秀吉の太閤検地後に義弘に与えられ、
その居館(御屋地)が建てられました。
後に義弘は平松城(後の重富御仮屋)に移住し、
その居館を長女の千鶴に与えた為、
千鶴は[… 続きを読む
総禅寺は豊州島津家の菩提寺だった寺で、
文明年間(1469-1486)に島津季久が創建。
廃仏毀釈で廃寺となっていますが、
その墓地のみが残されています。
「招魂塔」。
明治12年に建立された招魂碑で、
西南戦争の帖佐出身戦死者のもの。
総禅寺墓地の入口に聳えており、… 続きを読む
加治木は加治木島津家の私領で、
中世期の正八幡宮(鹿児島神宮)領であり、
一時豊臣秀吉の蔵入地にもなった場所。
また島津義弘の隠居地になっており、
その終焉の地にもなりました。
後に義弘の孫島津忠朗… 続きを読む
霧島神宮は高千穂峰西南麓にある神社で、
高天原から天降った瓊瓊杵尊を祀ります。
元々は火口に近い瀬多尾に鎮座しており、
噴火の被害で度々社殿を消失。
後に瀬多尾越へ遷座していますが、
ここでも噴火の被害を受けて消失した為、
待世の地に仮宮が建立されました。… 続きを読む
鹿児島神宮は大隅国一宮。
他県の人間からすると鹿児島市に遠く、
更に薩摩国ではなく大隅国内にあるのに、
何故鹿児島神宮??と思ってしまいますが、
これは江戸期に[鹿兒嶋]という意味は、
天降川から西側という意味であった為。… 続きを読む