①/②/③
つづき。
「慈光院殿在天道自大居士」。
3代当主毛利元包の墓。
2代毛利元包の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
同年に家中の知行地再編で吉敷に移り、
以降は代々吉敷を所領。
46年の当主在籍の後に隠居し、
その5年後に死去しています。… 続きを読む
「山口市」カテゴリーアーカイブ
山口県山口市 玄済寺/吉敷毛利家墓所①
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山口県山口市 吉敷招魂場
県下22の招魂場のひとつ吉敷招魂場は、
吉敷毛利家家臣を招魂する為に、
慶応2年に吉敷毛利家により建立。
吉敷毛利家菩提寺玄済寺の近くの天神山に、
吉敷招魂場は建立されていますが、
元は歴代祖公を祀る宣徳社があった場所。
山口氏吉敷周辺(吉敷招魂場の場所)。
「天神山公園」。
天神山といっても小さな丘のような場所。… 続きを読む
山口県山口市 鋳銭司/大村益次郎関連史跡
山口市鋳銭司は、大村益次郎の故郷。
名前のとおり平安時代後期まで、
周防国の銭貨を鋳造していた場所でした。
大村はそこで村医の村田孝益の長男として生まれ、
幼名は宗太郎といいました。
大村の誕生地は、四辻駅近くの内田歯科医院の隣。… 続きを読む
山口県山口市 鋭武隊士今井六郎の墓
小郡から椹野川対岸の元橋という場所に、
東津墓苑という墓地があります。
山の斜面に墓石が並ぶ墓地なのですが、
そこに鋭武隊士の墓がありました。
その墓の主は今井六郎といい、
元々は東津(椹野川の東側)の農民。
諸隊のひとつ鋭武隊に所属して、
戊辰戦争に従軍しています。
明治2年に諸隊が解散・再編されると、
職を失った諸隊士が反乱を起こし、
山口藩議事館… 続きを読む
山口県山口市 海善寺/玉木彦助墓所
玉木彦助は玉木文之進の嗣子で、
吉田松陰の従弟にあたります。
従兄の松陰とは仲が良かったらしく、
元服時に士規七則を松陰に贈られました。
世子毛利元徳の近従を務めるなど、
父や従兄に似て優秀であったようで、
松陰もその将来を期待していたらしい。
元治元年、太田市之進らの御楯隊に入隊。… 続きを読む
山口県山口市 山手招魂場跡
三原屋事件で殺された鈴木八五郎、
長谷川勇助、須原栄の三名の墓が、
栄山の麓にあるらしいので訪問しましたが、
その近くに山手招魂場の跡がありました。
「栄山自然観察の森案内図」。
お目当ての三原屋殉難士墓はすぐそこ。
近くに[禁門の変の墓]と描かれており、
なんだろうと行ってみた次第。… 続きを読む