長州藩の藩庁は萩の指月城でしたが、
幕末期に攘夷決行に備え海に面する萩から、
領地の中心の山口に藩庁が移されました。
萩を藩庁としたのは幕府の指示であり、
勿論勝手に藩庁を移すことも、
城を新たに造る事も許されませんので、
幕府にはちゃんと申告しています。
幕府への長州藩の申告によると、
萩は下関や… 続きを読む
「山口市」カテゴリーアーカイブ
山口県山口市 三文字屋跡
十朋亭維新館の隣に整備された庭があり、
三文字屋跡の碑が建てられています。
「三文字屋跡」。
三文字屋は和紙問屋。
長州の和紙は防長三白(四白)のひとつとして、
藩に奨励された産業のひとつです。
長州和紙は当時全国シェア30%を誇っており、
徳地和紙や山代和紙は品質が良かったとか。
三文字屋は和紙元締めであったようで、
当主は名字帯刀も許されています。… 続きを読む
山口県山口市 南園隊駐屯地跡
市街から国道9号線で北東に行った阿東は、
日本におけるリンゴの最南端の特産地。
青森や長野で栽培される印象がありますが、
阿東は標高250~300mもあり、
冬の気温は-10℃にもなります。
そういう気候が栽培に適しているらしく、
国道沿いには直売所などが立ち並び、
アップルパイなんかも売られていて、… 続きを読む
山口県山口市 十朋亭維新館
長州藩が山口に藩庁を移転したことにより、
役職ある藩士達も山口に転住しますが、
その宿所とされた民家が十朋亭です。
十朋亭は醤油商亀屋を営む萬代家の離れで、
藩庁移転後に最初に滞在したのは、
当時の執政周布政之助だったとされます。
その後、… 続きを読む
山口県山口市 福田侠平遺髪墓
奇兵隊の軍監であった福田侠平は、
高杉晋作が最も信頼していた人物とされ、
自身も晋作に心酔していたようで、
晋作の隣に葬って欲しいと遺言しています。
奇兵隊の中でも比較的年長者であった為か、
周囲に比べて冷静な人物だったようで、
血気盛んな隊士達からも慕われていました。
下関戦争、長州内訌戦、幕長戦争と歴戦し、
北越戦争では劣勢にも悠々とした態度で臨み、
これを見た部下は安心して戦えたようです。… 続きを読む
山口県山口市 赤祢武人顕彰之碑
功山寺での高杉晋作によるクーデターは、
凡人からすれば一か八かの賭けだった訳で、
暴挙と考えても仕方がありません。
これが成功したから良かったのですが、
失敗すれは諸隊は解散、
幹部は揃って死罪となります。
組織のトップは組織の存続が最重要であり、
一か八かの賭けで潰すことはできません。… 続きを読む
山口県山口市 山田宇右衛門墓所
山田宇右衛門は正義派政権の政務首座を務め、
桂小五郎と共に幕府に対抗した人物。
吉田大助に山鹿流兵学を学び、
大助の養子吉田松陰の後見役となります。
松陰に多大な影響を与えたともされ、
世界事情に通じた山田亦介も紹介しており、
尊皇攘夷思想は持っていたようですが、
官僚として優秀な人物だったようで、
郡奉行や代官所を勤め藩政に関わり、… 続きを読む