県下22の招魂場のひとつ吉敷招魂場は、
吉敷毛利家家臣を招魂する為に、
慶応2年に吉敷毛利家により建立。
吉敷毛利家菩提寺玄済寺の近くの天神山に、
吉敷招魂場は建立されていますが、
元は歴代祖公を祀る宣徳社があった場所。
山口氏吉敷周辺(吉敷招魂場の場所)。
「天神山公園」。
天神山といっても小さな丘のような場所。… 続きを読む
県下22の招魂場のひとつ吉敷招魂場は、
吉敷毛利家家臣を招魂する為に、
慶応2年に吉敷毛利家により建立。
吉敷毛利家菩提寺玄済寺の近くの天神山に、
吉敷招魂場は建立されていますが、
元は歴代祖公を祀る宣徳社があった場所。
山口氏吉敷周辺(吉敷招魂場の場所)。
「天神山公園」。
天神山といっても小さな丘のような場所。… 続きを読む
山口市鋳銭司は、大村益次郎の故郷。
名前のとおり平安時代後期まで、
周防国の銭貨を鋳造していた場所でした。
大村はそこで村医の村田孝益の長男として生まれ、
幼名は宗太郎といいました。
大村の誕生地は、四辻駅近くの内田歯科医院の隣。… 続きを読む
小郡から椹野川対岸の元橋という場所に、
東津墓苑という墓地があります。
山の斜面に墓石が並ぶ墓地なのですが、
そこに鋭武隊士の墓がありました。
その墓の主は今井六郎といい、
元々は東津(椹野川の東側)の農民。
諸隊のひとつ鋭武隊に所属して、
戊辰戦争に従軍しています。
明治2年に諸隊が解散・再編されると、
職を失った諸隊士が反乱を起こし、
山口藩議事館… 続きを読む
玉木彦助は玉木文之進の嗣子で、
吉田松陰の従弟にあたります。
従兄の松陰とは仲が良かったらしく、
元服時に士規七則を松陰に贈られました。
世子毛利元徳の近従を務めるなど、
父や従兄に似て優秀であったようで、
松陰もその将来を期待していたらしい。
元治元年、太田市之進らの御楯隊に入隊。… 続きを読む
三原屋事件で殺された鈴木八五郎、
長谷川勇助、須原栄の三名の墓が、
栄山の麓にあるらしいので訪問しましたが、
その近くに山手招魂場の跡がありました。
「栄山自然観察の森案内図」。
お目当ての三原屋殉難士墓はすぐそこ。
近くに[禁門の変の墓]と描かれており、
なんだろうと行ってみた次第。… 続きを読む