[げっしょう]の名を持つ勤皇僧が、
幕末期に二人いました。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊攘派の僧月照。
もう一人が海防僧と呼ばれた月性でした。
月性は妙円寺… 続きを読む
「山口県その他」カテゴリーアーカイブ
山口県熊毛郡 海前寺跡/大野毛利家墓所
長州藩には一門家老家が八家あり、
宍戸家を筆頭に、右田、厚狭、吉敷、
阿川、大野の各毛利家支流と、
準一門益田家、福原家… 続きを読む
山口県熊毛郡 麻郷護国神社
山口県内には多くの招魂社がありますが、
その創設は諸隊だったり領主だったりと、
それぞれが独自で創建されています。
これらの事実を知らぬ左翼的な人々は、
後の靖国神社に繋がる招魂社(護国神社)を、
政府主導の政策であるという。… 続きを読む
山口県光市 伊藤博文記念公園
伊藤博文は熊毛郡の百姓林十蔵の長男で、
出稼ぎで萩に住む父に呼ばれて萩に移住。
その父が中間水井武兵衛の養子となり、
武兵衛が足軽伊藤家の養子となった為、
十蔵、利助(博文の幼名)も足軽となります。
百姓として生まれ、父が中間に養子に入り、
養祖父が足軽に養子に入るという展開。
百姓から頂点へのサクセスストーリーは、
戦国時代の豊臣秀吉と同じですが、… 続きを読む
山口県岩国市 岩国護国神社
戊辰戦争の岩国領戦死者22名を祀る為、
領主吉川経幹が関所山招魂場を建立。
これが岩国護国神社となっています。
後に脱退騒動鎮圧の戦死者5名も合祀。
招魂場の運営は岩国藩が行っていましたが、
廃藩置県によって吉川家の庇護から離れ、… 続きを読む
山口県岩国市 通化寺/遊撃軍の本陣
遊撃軍は来島又兵衛が組織した部隊で、
禁門の変では来島が戦死する程奮戦。
来島の死後は石川小五郎の指揮の許で、
いち早く功山寺挙兵にも参加しました。
内訌戦の大田絵堂の戦いの後には、
高杉晋作が総督となっていますが、
正式に藩から任命されたわけではなく、
事実上の総督であったようです。… 続きを読む
山口県熊毛郡 東山台場跡
瀬戸内海を航行する船を取り締まる番所が、
平安時代頃より長門国、周防国に設置され、
下関、中関、上関 と呼ばれました。
上関海峡は極端に狭い海峡で、
上関と北側の室津との間わずか170m。
流れが速い為に潮待ちしなければならず、
北前船の寄港地として繁栄します。
この重要な港を長州藩は… 続きを読む