【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

河豚食わざるの記を読んでみる

有名な吉田松陰の[河豚食わざるの記]。
※原文は不食河豚説
これを読んでみたいと思います。

世言河豚有毒矣、
世にいう河豚には毒があると。
其嗜之者特衆、
それでもこれを好む者は多い。
余獨不食、非懼死也、懼名也、
余は死を恐れず名を恐れるので食べない。
夫死者、人之所必有、
死は必ず人のところにやって来るが、
固不足懼也、
これを皆恐れない。
然死生亦大矣、続きを読む

勅使を迎える奇兵隊士達

攘夷を決行した長州藩に対し、
朝廷は激励の為に勅使正親町公董を派遣。
文久3年7月16日に勅使は下関に到着し、
白石正一郎邸に入ります。
宿陣の幹部らは白石邸に参謁し、
朝廷の激励の言葉を賜りました。

翌日勅使一行は各砲台を視察。
迎砲の発射、西洋銃陣や射的、
槍や剣の試合の披露も行います。
勅使正親町公董はこれに満足し、
その日の宿所長府へ向かいました。… 続きを読む

鎌倉殿の13人末裔の幕末

大河ドラマ鎌倉殿の13人は面白かった。
ほぼ屋内が舞台の暗い政治劇の筈が、
これ程面白く描けるとは。
僕の周りの歴史に余り興味ない連中も、
毎週楽しみにしていた程。
歴史得意でしょ?と色々聞かれますが、
戦国以降ならある程度知ってるが、
鎌倉時代はちとわからねえ。

港のヨーコヨコハマヨコスカ風に(笑)
僕が判るのは大江広元くらいです。
という訳で今更ですが
鎌倉殿の13人の末裔がどうなったか、
簡単に調べてみましょう。

①… 続きを読む

上杉謙信家臣末裔の幕末②

/②
つづき。



本庄越後守(→米沢藩士)
上杉家の鬼神とも称された豪傑で、
多くの戦いで戦功を挙げた本荘繁長
何度も上杉家に反旗を翻しますが、
その度に許されて帰参しています。
上杉家が会津に転封されると、
福島城代として1万石を与えられており、
伊達政宗の猛攻を撃退していますが、… 続きを読む

上杉謙信家臣末裔の幕末①

①/
久しぶりに末裔シリーズを。
今回は歌川芳員上杉廿四将より、
上杉謙信の家臣らの末裔を調べてみます。


上杉廿四将」。

輝虎入道謙信(→米沢藩主)
毘沙門天の化身と称された上杉謙信。
後継者を指名せず急死した為、
御館の乱続きを読む

晋作の剣道着姿の写真

今更なのですが、
高杉晋作として紹介される剣道着姿の写真。


前々から違うだろとは思っていましたが、
余りにもバカバカしいので、
その出所を調べる事をしてませんでした。

結論から言うとこの写真は、
1865 Satsuuma Yakoninと裏書があり、
元治元年12月4日~慶応元年11月14日の間に、
上野彦馬撮影局で撮影された薩摩役人のもの。
ちなみに本物の晋作の写真は、
元治2年2月頃の3ショットのものと、… 続きを読む

アマビヱ

今年はCOVID-19の大流行に終始しました。
そんな中でアマビエという妖怪が、
疫病退散にご利益があるということで、
SNSを中心としてブームとなり、
現在は厚生労働省まで使用している。
はて?子供の頃に読んだ妖怪辞典に、
そんな妖怪いたかなぁ???
いたのかもしれませんが記憶に無い。… 続きを読む