【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

高杉晋作の甲子残稿

[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩続きを読む

高杉晋作の観光録

高杉晋作は文久3年に交友録として、
[観光録]を書いています。
交友のあった志士らが記載されており、
意外な繋がりを知る事が出来て、
羅列ながら色々と想像すると面白い。

[観光録]
久米藩、田中紋次郎、今井彦三郎、
肥前、中牟田倉之助、能萬介次郎、
同、草場叉三、森傳二郎、
濱松、名倉予何人、
大坂住伊藤軍作、水戸浪大橋熊次、高田
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小倉藩の御名字之族

藩主家に飽き足らず家老家にも手を伸ばし、
その資料に少なさに驚愕しているのですが、
それでも長州藩は非常に資料は豊富。
図書館に足を運んで探せば、
何らかのヒントは見つかります。
その感覚でお隣の小倉藩を調べると、
びっくりする程資料が少ない。
小倉藩の家老家を調べてみても、
家系図のようなものは見当たらず、
[諸士由緒]という図書館の閉架資料から、
一門家老の[御名字之族続きを読む

十二所 扇田の戦い

奥羽越列藩同盟を脱退した久保田藩に対し、
盛岡藩は久保田領への侵攻を開始。
楢山佐渡花輪御官所に全軍を集結させ、
秋田県鹿角市 花輪館跡
部隊を二手に分けて藩境を目指します。
一方で毛馬内でも向井蔵人桜庭祐橘が、… 続きを読む

徳川宗家の駿府移封に伴う各藩の転封

鳥羽伏見の戦い旧幕府軍が敗れた後、
徳川宗家15代徳川慶喜は朝敵となり、
水戸で謹慎処分となっています。
慶喜は養子徳川家達に家督を譲って隠居し、
新政府は徳川宗家の存続を決定。
駿河国及び遠江国70万石を、
家達に相続させる事となりました。… 続きを読む

四国連合艦隊の彦島租借要求

高杉晋作下関戦争の休戦交渉において、
彦島租借要求を拒否した伝説があります。
しかしながらこの話は、
英国の外交記録やアーネスト・サトウの日記、
回想録等には全く記載が無く、
伊藤博文の回想で語られるのみで、
現在では信憑性は極めて薄くなっています。

結論から言うと、
伊藤の証言以外に記録には全く無いわけで、
これを絶対にあったとは断定は出来ない。
但しそれを持ってそんな訳がない続きを読む

長府藩と砂糖製造

長府藩は全国に先駆けて和砂糖を製造し、
大坂に販売したとされますが、
現在はそんな形跡は微塵も感じられません。

長府藩の砂糖製造は江戸中期頃、
永富独嘯庵により伝えられました。
独嘯庵は医者ながら殖産興業に関心があり、
藩に進言して白砂糖製造を許され、
安岡浦横野綾羅木、… 続きを読む